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2023年3月号目次

3月号目次

 

閻魔帳

地方政治の崩壊は必ず住民の命を奪う/原岡裕太

 

特集/統一地方選に向け無謬性を鼓吹する創価学会の独善体質

 

統一地方選を前に「東村山女性市議転落死事件」を蒸し返すなど「創価学会=公明党」の焦りぶり/古川利明

朝木市議転落死事件を徹底して忌避する創価のメンタリティ/乙骨正生

近づく統一地方選挙──注目集める「東村山事件」/段 勲

 

トピックス

三浦瑠麗夫婦の疑惑で垣間見えた統一教会と創価学会の接点/橋本征雄

トピックス

自民党の統一教会問題と対カルト政策の課題/藤倉善郎

 

  • 連載

信濃町探偵団──創価学会最新動向

「公明党と創価学会」を考える(第41回)

「平成の政治改革」と公明党・創価学会(10)/平野貞夫

ナニワの虫眼鏡(第45回)

人工島・夢洲は呪われた土地か !? 繰り返される大阪市の負の歴史/吉富有治

ヨーロッパ・カルト事情(295)

基礎知識の整理──フランスのセクト対策理解のために/広岡裕児

執筆者紹介 編集後記

 

 

編集後記から

日本が軍国主義への道を突き進む大きな契機となった「二・二六事件」から87年目の今年の2月26日、自民党が第90回党大会を開催。その席上、連立のパートナーである公明党の山口那津男代表はこう挨拶しました。

「自公が連立政権を組んで23年になります。長きにわたって公明党をご指導ご鞭撻いただいたことに、改めて深く感謝とお礼を申し上げます。特に、昨年の参院選においては、選挙区で自民党からご推薦いただいた候補者が全て議席を勝ち取ることができました」

公明党は連立政権参画時に「政権のブレーキ役」になるなどと高言していましたが、いまや自民党に依存する寄生政党あるいは舎弟政党に成り下がっていることがわかります。その上で、山口代表は、「安倍晋三元総理を失ったことは痛恨の極み」と述べた後、当面の政治課題と統一地方選にこう言及しました。

「国民生活は急激に広がる物価高にあえいでいます。未来を見渡せば、少子高齢化は免れません。自公政権が国民の声に応えていかなければならないと思います。こうした取り組みは政権の安定があってこそのものです。国政での連立だけでなく、地方政治における安定した土台の上に政権運営がなければなりません。今年の統一地方選挙も、共に力を合わせながらしっかりと勝利して足元の基盤を固め、さまざまな課題に力強く共に進んでまいりましょう」

自民党大会に先立つ2月21日、財務省は国民の所得に占める税金や社会保険料などの負担割合を示す「国民負担率」について、2022年度は47・5%となると発表。これに国の財政赤字を加えると「潜在的な国民負担率」は、なんと61・1%にもなります。この事実を前にSNS上では、「令和の時代に“五公五民” 江戸時代とどっちがマシなのか」と嘆く声も出ていますし、高負担ではあるものの高福祉であるスゥエーデンなどと異なり、日本は高負担でありながら満足な社会保障を得られていない現実を嘆く声があふれています。

かてて加えて2月28日、厚労省は22年の国内出生数が予想を11年上回る速さで80万人を切ったことを発表しました。少子化の原因が自公政権の悪政にあることは明白です。来たる統一地方選、国民有権者の賢明な判断が求められます。

今号で創刊満21年を迎えた小誌は、今後とも宗教と社会・宗教と政治の問題を追及し続けます。

特集/統一地方選に向け無謬性を鼓吹する創価学会の独善体質

朝木市議転落死事件を徹底して忌避する創価のメンタリティ

乙骨正生

ジャーナリスト

社会的批判をデマと反駁

1995年9月1日に発生した朝木明代東村山市議転落死事件から、すでに27年余の歳月が流れた。四半世紀を超える時が流れた今日、故朝木市議の長女である朝木直子東村山市議ら遺族、そして事件発生直後から取材を始め、事件の真相究明を希求してきた筆者をはじめとする関係者は、事件の風化を危惧してきた。

だが、昨今SNS上では、朝木市議転落死事件が話題となっており、中には真偽のほどは分からないものの、朝木市議を殺害した犯人だという人物の実名ばかりか顔写真までがアップされたブログまである。

事件の風化が危惧される一方で、朝木市議転落死事件が俄かにクローズアップされた背景には、安倍晋三元首相銃撃死亡事件を契機に、カルト問題や宗教と政治の歪んだ関係、宗教団体の反社会性などへの世論の関心が高まり、世界平和統一家庭連合(以下・統一教会)同様、政治に多大な影響を及ぼすとともに、さまざまな反社会的事件を引き起こしてきた創価学会に改めて注目が集まっているという事実がある。その結果、『週刊文春』『週刊新潮』をはじめとする各種の雑誌メディアが創価学会問題を特集。同時にSNS上でも創価学会問題へのアクセスや投稿が急増、その一環として朝木市議転落死事件にもスポットライトが当たったというわけだ。

こうした事態は、安倍銃撃事件前には予想もできなかっただけに、まさに降って湧いたような現実を前に、創価学会は降りかかった火の粉を払うべく、「旧統一教会問題に便乗した学会へのデマや、『信教の自由』を侵す行為は絶対に許してはなりません。旧統一教会問題は、『宗教』ではなく『反社会的活動を長年継続する団体』の問題です。私たちは軽佻浮薄な邪論を鋭く見破り、堂々と真実を語り抜いてまいりたい」(22年12月13日付『聖教』谷川主任副会長)などと反駁し、予防線を敷くのに余念がない。

特に、4月には統一地方選が迫っていることから、創価学会はマス・メディアの批判報道にことさら神経質になっており、「今、旧統一教会の問題に便乗し、一部週刊誌が全く関係のない学会を中傷しています。『週刊文春』の12月1日号では、旧統一教会の被害者救済新法を巡り、学会が新法を『骨抜きにした』などと断定しています。極めて悪質です」(同・梁島男子部長)などと非難を続けている。

創価学会が統一地方選を重要視していることは、今年1月の全国県長・県女性部長会において原田稔会長が、

「本年4月には、統一地方選が行われます。ご存知の通り、学会の支援活動の原点は1955年(昭和30年)の統一地方選です。27歳の池田先生が、大田と鶴見で指揮を執られ、見事、どちらもトップ当選。その初陣こそ、まさに民衆の幸福と平和を目指す運動のスタートでありました」(1月7日付『聖教』)

と統一地方選を創価学会の選挙闘争の原点と位置づけていることからも明らか。しかし「広宣流布のバロメーター」と位置づける公明党の国政選挙の比例区票は、05年の小泉郵政選挙(衆院)以来、右肩下がりを続け、昨年7月の参院選の結果は、過去最高得票の898万票を下回ること280万票の618万票。得票数の減少率は32%にも達している。

国政選挙のみならず地方議会選挙での勢力後退も著しく、本誌1月号で詳報したように、長井秀和氏がトップ当選した昨年12月25日投開票の西東京市議選で公明党は、前回比で12%の得票減。2月5日投開票の山口県下関市議選でも6議席を守ったものの得票数は14212票から11974票とマイナス2238票、16%も減らしている。

こうした最近の統一外地方選挙の結果に鑑みるならば、4月の統一地方選でも公明党の苦戦は必至。そこで「勝利の要諦」として創価学会は、臆面もなくこれまで以上に激しい宗教的扇動を試みている。その一端を、先述の原田発言の続きに見てみよう。そこにはこうある。

「その昭和30年の戦いが描かれた小説『人間革命』第9巻『展開』の章には、初めての支援活動に不安を抱く同志に、“何をもって勝つか。それは信心の団結である”と力説する山本伸一青年(注・池田大作氏のこと)の姿が描かれています。

『今こそ、信心で奮い立ち、広宣流布というものへの広い視野と、深い自覚に立って、自主的に総立ちすることです』『妙法の使命を胸に秘めて立候補した同志を応援する――この使命を同じくする人の団結ほど強く、また尊いものはありません。この実践活動が、立正安国を一歩一歩、進めているんです。やろうじゃないですか!』

この真剣な訴えがあったればこそ、『信心根本に戦い抜く』という息吹が大田と鶴見の全同志にみなぎり、勝利への道が開かれたのであります」

だが、こうした創価学会の「立正安国」の「法戦」の前には必ず、創価学会の前進を阻もうとする「障魔」が現れる。それに「信心で」勝利しようというのが創価学会の独善的で手前勝手な主張。原田発言の掉尾にもこうある。

「広布が進めば、障魔が競い起こることも必定です。これまでも学会の前進をねたみ、恐れる勢力が、根も葉もない非難・中傷で騒ぎ立てたことがありました。しかし学会は、あらゆる苦難を乗り越え、広宣流布を厳然と進めてきました。『必ず三障四魔と申す障りいできたれば、賢者はよろこび愚者は退く』との御金言を胸に、私たちは決して退くことなく、宿命を乗り越え、障魔を乗り越え、威風も堂々と広布拡大を進めていきたい。(中略)さあ、私たちは『強き信心』で勝つ!『強き団結』で勝つ!――この決意も新たに、『青年・凱歌』の歴史を断固と開きゆこうではありませんか」、(同)

その「三障四魔」の具体的な現れこそ「旧統一教会問題に便乗した学会へのデマ」だというのが創価学会の主張。そして創価学会は、そうした「苦難を乗り越え、広宣流布を厳然と進めてき」たというのである。その具体的例証として創価学会が昨年12月以来、『聖教新聞』や『創価新報』でキャンペーンを張っているのが、90年代半ばの政界・マスコミ界で繰り広げられた創価学会批判。中でも創価学会が「3大デマ」と呼ぶ、朝木市議転落死事件・白山事件・池田レイプ事件に裁判等で勝訴したことを、「幾多の弾圧をはねのけ、大発展」した証左としている。

 

深い闇の中にある転落死事件

このうち「正義の旗を高らかに 未来へつなぐ破邪顕正のバトン」と題する1月18日付『創価新報』は、朝木市議転落死事件を「東村山デマ事件」として大特集。「検察は“他殺の確証なし”と26年前に捜査を終結 司法の場でも厳然と決着」などの見出しをつけ、他殺説を唱える朝木直子市議らを非難している。だが検察の判断が公正であったのかどうかに疑問符がつく、朝木市議の事件を担当した東京地検八王子支部(当時)の支部長検事と事件を直接担当した検事が、創価学会の副会長の妹を妻にしている創価学会学生部法学委員会の幹部を歴任した人物であったことや、創価大学出身の学会員であったことには一言も触れない。

同様に朝木直子市議や関係者が、法医学的には他者と揉み合った際に生じる痕と解釈されていることから、他殺説の重要な根拠とする司法解剖鑑定書記載の「左右上腕内側部の皮下出血痕」についても、「東京高裁は、朝木が上腕を強くつかまれた可能性があるだけであり、『他人に突き落とされて本件転落死したことまで推認できるものでないことは明らかである』と指摘。『転落死が殺人事件であると認めることは到底できず、他にこれを認めるに足りる証拠はない』(2009年1月29日判決)と明確に一蹴している」と強調する。

だがその一方で、この判決から2カ月後の09年3月25日に東京高裁が出した、「東京地方裁判所が平成14年3月28日に言い渡した判決では、その理由中で、(注・自殺の動機とされた)本件窃盗被疑事件について『明代を本件窃盗被疑事件の犯人と断定するに足りないというべきである。』と、また、本件転落死について『明代が自殺したとの事実が真実であると認めるには足りず、他にこれを認めるに足りる証拠はない』」と説示していることなどをもって、朝木直子市議らが「本件転落死につき他殺の可能性を示す証拠があると信ずるについて相当の理由がなかったとはいえない」とした判決については無視黙殺。

その上で、「市議の娘、乙骨らは近頃、再び荒唐無稽な陰謀説をまことしやかに流していますが、すでに裁判で決着済みの話です」(12・13付『聖教』)「いくら“蒸し返し”を図ろうとしても、司法の判断は厳然と下されているのである」(1・18付『創価新報』)などと強調し、朝木市議転落死事件で他殺説をとる朝木直子市議を誹謗している。

東村山市では、12年から複数の公明党市議が天下っていたビル管理会社が、高齢者施設の運営を社会福祉協議会に代わって委託されるようになり、公明党の支援を受ける市長はその委託費を言い値で値上げしていた。だが、この委託業者は多年にわたって消防法違反を繰り返したばかりか、契約違反などがあったことが18年予算議会での朝木直子市議の質問で明らかになり、最終的に市長は委託をやめて運営を市の直営として予算案を撤回して出し直すという異例の事態となるなど、公明党と市長・行政当局の癒着疑惑も明るみに出ている。

統一教会と同一視されることを恐れるとともに、ブラックボックスと化した地方政界・地方議会での公明党の素顔が明るみに出ることを恐れる創価学会。暴力団とも密接な関係を持っていた“公益法人”が、朝木市議転落死事件を徹底的に忌避するのはなぜか。その闇は深い。

 

乙骨正生(おっこつ・まさお)フリージャーナリスト。1955年生まれ。創価中学・創価大学法学部卒。宗教・政治・社会分野などを取材、週刊誌・月刊誌を中心に執筆。著書に『怪死』(教育資料出版会)『公明党=創価学会の野望』『公明党=創価学会の真実』『司法に断罪された創価学会』(かもがわ出版)など。

 

信濃町探偵団──創価学会最新動向

  • 2年余り隠されていた浜四津敏子元公明代表の死去

・2023年2月17日付『公明新聞』「元党代表代行浜四津氏が死去」

「浜四津敏子氏(はまよつ・としこ=元公明党代表代行、元参院議員)2020年11月29日、死去。75歳。葬儀は家族葬で済ませた。遺族の意向でこれまで公表を控えていた。

浜四津氏は、1992年の参院選東京選挙区で初当選し、2010年まで3期務めた」

・2月17日付『毎日新聞』「訃報 浜四津敏子さん 75歳=公明党元代表代行、元環境庁長官」

「公明党元代表代行で、環境庁長官を務めた浜四津敏子(はまよつ・としこ)さんが2020年11月29日に死去した。75歳。遺族の意向で党側が発表を控えていた。

東京都出身。弁護士を経て、1992年の参院選東京選挙区に旧公明党から立候補してトップ当選。連続3期務めた。94年に羽田内閣で環境庁長官に抜てきされた。

羽田内閣の退陣後、新進党に参加。同党の解党を受け、旧公明党の参院議員らでつくる『公明』に合流、98年1月に代表に就任した。同年11月に公明と『新党平和』が合併して誕生した公明党で代表代行を務めた。

選択的夫婦別姓制度の導入や、永住外国人への地方参政権付与を訴えた。公明党の支持母体である創価学会の婦人部(現女性部)に人気があり、選挙では激戦区の応援に立つことが多かった。10年、任期中に66歳を超える場合は原則公認しないとの当時の党の内規に従い、政界を引退した」

 

※公明党の代表代行や新進党解党後の暫定政党公明の代表などを務めた浜四津敏子元参議院議員が、2020年11月29日に死去していたことを、公明党が死去から2年余を経過した2月16日に発表した。

公明党は死去を2年余り発表しなかった理由を「遺族の意向」としているが、その真相は分からない。しかし、この事実を「二年以上伏せられていた死 公明党・浜四津敏子の煩悶」と題して報じた『週刊文春』3月2日号には、そもそも発表に至ったのも「察知したメディアが取材に動いた」からだとして、次のような背景事情を書いている。

「理知的な顔立ちとさわやかな語り口で人気を博したが、激しい一面もあった。『九九年の自自公連立の際は、「私は反自民でやってきた。自民と組むなら代表代行を降ります』と神崎武法代表(当時)に啖呵を切って取りなされる一幕もあった』(政治部記者)

学会員に多大な負担を強いる衆院からは撤退し、参院と地方議員だけの政党であるべき、が持論。また、後々までイラクへの自衛隊派遣を公明党が認めたことへの反省を口にした。そうした姿勢が敬遠されたのか、代表や幹事長には就けず、知名度とは裏腹に党中枢からは外されていた。

二〇〇九年の衆院選で野党に転落すると、翌年の参院選を前に党から引退勧告を受けた。『任期中に六十六歳を超える場合は公認しない』という当時の内規が表向きの理由だったが、『代表代行という閑職にもかかわらず、婦人部の集票力をバックに正論をぶる浜四津氏に当時の井上義久幹事長らは手を焼いていた』(政治部デスク)

一方でこんな煩悶も。『婦人部は嫉妬の嵐が渦巻く強烈な組織でもある。一部からは「私たちがいないと当選もできないくせに」と陰口を叩かれており、本人も気づいていたようだ』(創価学会関係者)

引退後は政界と距離を置き弁護士に復帰。だが衆院選で落選した同年生まれの太田昭宏元代表は引退せず、浜四津氏は『太田氏は院政を敷くつもりよ。山口(那津男)氏がしっかりしないと』と懸念していた」

死去の時期がコロナ禍中ということもあり、遺族が配慮したのかもしれないが、2年余にわたって隠されていた浜四津氏の死去が、あらためて公明党そして創価学会内部の矛盾と混乱を浮き彫りにしたといえよう。

本誌でもたびたび健筆を奮ってくれている評論家の佐高信氏は、慶応大学法学部で浜四津氏と同期生だったとのこと。その佐高氏が『日刊ゲンダイ』2月27日号掲載「追悼譜」で、浜四津氏を取り上げている。ご本人の許諾を頂いたので以下、紹介したい。

・2月27日号『日刊ゲンダイ』「公明党元国会議員・浜四津敏子の死はなぜ、2年もの間隠されたのか」

〈【佐高信「追悼譜」】

浜四津敏子(2020年11月29日没 享年75)

旧姓高橋の浜四津と私は慶大法学部法律学科の同期生だった。2年余り前に亡くなっていたのに遺族の意向で党側が発表を控えていたというのだが、何か秘密めいたものが臭う。

そんな浜四津と、一度だけ、盗聴法反対の集会で会った。1998年11月17日、場所は星陵会館だった。創価学会婦人部にカリスマ的人気のある彼女は、そこでナチスドイツにおいて秘密警察が取り締まりの対象を広げ、反戦平和や環境保護運動にまでその手をのばしたことなどを引いて、いったん盗聴や秘密警察的情報収集を導入すれば「その本来の目的を逸脱し、歯止めが利かなくなるのは、古今東西の歴史の事実が証明している」と強調した。

間然するところのない見事な批判だったが、しかし、浜四津はそれからまもなく、態度を変えた。修正案で対象犯罪に限定がかかったなどと変節の理由を述べたが、それは自らの発言を裏切るものでしかなかった。「盗聴という手段には歯止めが利かない」というのは「修正」は利かないということだからである。反対集会に出て来なくなったのは、自民党と公明党が連立政権を組んだからだった。

1999年6月1日のテレビ朝日「ニュースステーション」では、

〽あなたはもう忘れたかしら

という「神田川」の歌い出しにかぶせて、浜四津のこの反対発言を放送した。そして私は、浜四津の発言には賞味期限があり、半年も経たずにそれは過ぎたのか、と皮肉ったのである。

あるいは彼女も公明党(創価学会)の無原則な方針転換に苦しかったのかもしれない。

浜四津が1997年に出した『やっぱりひまわり』(鳳書院)を引きながら、私は『世界』の2006年11月号に「公明党の原理的滑落」を書いた。滑落とは、登山などの際、自らの足場を踏みはずして滑り落ちることである。公明党はまさに原理的に滑落してその存在理由を失った。

前掲書から浜四津の訴えを引こう。

「私は国連軍にせよ何にせよ、『軍』すなわち『軍隊』という考え方に対する根本的な発想の転換が必要だと思っている。核兵器の全面的な廃止と同じように、まず『軍隊』でなければならないという考えを捨てるべきだと思う。もっと言えば、世界中の国々から、本来は『軍隊』をなくすべきなのだと考えている。これまでは『平和のために戦争の準備をせよ』との発想であった。しかしこれからは、『平和のために平和の準備をしよう』という方向に転換したい」

詳しくは拙著『自民党と創価学会』(集英社新書)を参照してほしいが、この浜四津の考えに私は全面的に賛成である。しかし、軍備拡大の岸田政権にブレーキをかけることもなく容認してしまった現在の公明党と彼女の考えがまったく違うことは明らかだろう。浜四津の死を隠したのは、改めてそのギャップに焦点が合わされることを恐れたからではないか。(文中敬称略)〉

「(創価)学会の支援活動の原点は1955年(昭和30年)の統一地方選です」(1・7付聖教)として、来る4月の統一地方選を「強き信心で勝つ!強き団結で勝つ!」(同)と原田稔会長は檄を飛ばすが、そのパワーの源泉だった婦人部は、人材供給源の女子部が事実上消滅したことで衰退のまっただ中。婦人部に絶大な人気を博した浜四津氏の死去とその公表を隠した事実は、そうした創価学会の内部矛盾と衰退の現実を示唆するメタファーなのでは。

 

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