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2024年6月号公明党は、やっぱり自民党と同じ穴のムジナなのか

6月号目次

 

閻魔帳

公明党は、やっぱり自民党と同じ穴のムジナなのか/段 勲

 

特集/鍋の底が抜けた創価学会──“世界宗教として発展”のお粗末

 

原田創価学会の正当性の論拠に利用されるローマ教皇会見/乙骨正生

「衆院3補選全敗」という折からの逆風に猫を被り始めた「公明党=創価学会」/古川利明

原田会長・ローマ教皇の会見に見る創価学会の宗教的変質/山本栄美子

『ヴァチカンニュース』が報じなかった教皇・原田会見/広岡裕児

 

トピックス

幹部3人逮捕の「つばさの党」は陰謀論の脅威の一例/藤倉善郎

トピックス

安倍派崩壊で弱気になった神社本庁田中恆清総長の辞められない理由/橋本征雄

 

  • 連載

信濃町探偵団──創価学会最新動向

「日本の議会政治」を考える(臨時版)

5月27日・衆議院政治改革特別委員会での参考人意見陳述(要旨)/平野貞夫

ナニワの虫眼鏡(第60回)

政治と宗教の類似性 “信者”に近い維新の支持者たち/吉富有治

執筆者紹介&バックナンバー紹介 編集後記

 

 

編集後記から

創価学会の原田稔会長が、5月10日にイタリアのローマ・バチカンでカトリック教会のフランシスコ教皇と会見しました。詳細は特集記事をご参照いただきたいのですが、この会見を元外務省主任分析官で作家の佐藤優氏が、創価学会の外郭出版社である第三文明社のWEBサイトで「世界史的カイロス(画期・転換点)」だと高く評価しています。

その中で佐藤氏は、ローマ教皇と原田会長が核廃絶について価値観の一致をみたことを取り上げ、これは5月3日の憲法記念日の声明で、核兵器禁止条約の批准に向けた環境整備を行うとしている公明党にとって、連立パートナーの自民党に核禁条約の批准とオブザーバー参加を、創価学会の価値観を体現する政党として求めるべき契機だと発言。併せてこの核禁条約と防衛装備品の移転問題、そして政治資金規正法の改正について、公明党の独自性をアピールする絶好の機会だとこう語っています。

「やはり日本の政府を強化するためには筋の通ったことは、平和に向けての動きを公明党が強く言うことによって、今の連立政権の幅が広がるんで、それによって結果として自民党も強くなるんだと、ここのところ一種の弁証法的過程ね、これやっぱり理解してもらった方がいい」

連立政権や自民党を強化するために、独自性を発揮しろとハッパをかける佐藤氏。しかし山口那津男代表が「同じ穴のムジナ」に見られたくないと公言していたにもかかわらず公明党は、政治資金規正法の改正について「独自性」を発揮するどころか、結局、パーティ券の公開基準を10万円から5万円に引き下げるという程度の有名無実な微修正で、自民党案に賛成。政治とカネに関する抜本的な改正の柱である連座制の導入や企業・団体献金の禁止を放擲しました。こんな公明党に、「清潔の党」を名乗る資格はありません。

政治資金規正法改正案への対応を注視していた多くの国民・有権者の公明党に対する目線はますます厳しいものになっています。そんな政治状況を打破するために公明党は、来る7月の東京都知事選挙で小池百合子氏を担ぎ、小池人気を自らの集票に利用しようと目論んでいますが、もはや小池氏には前回知事選のような勢いはありません。

しかも小池氏はかつて「核武装の選択肢は十分にありうる」(2002・3)と語っていた核容認派。そんな小池氏に抱きつき延命を図る公明党に、核禁条約の批准促進を期待することなど、どだい無理な相談でしょう。

特集/鍋の底が抜けた創価学会──“世界宗教として発展”のお粗末

 

原田創価学会の正当性の論拠に利用されるローマ教皇会見

乙骨正生

ジャーナリスト

 

創価の落日示す女子短大閉校

すでに半世紀近い時間が経過していることから、なんの機会だったかはもはや記憶にないが、創価大学在学中に筆者は、池田大作創価学会会長(当時)が、「自分の最後の仕事は『教育』である」旨の発言をしたことを憶えている。

その意図はともかくとして、池田氏が教育事業に強い思い入れをもっていたことは、2001年5月の本部幹部会での「牧口先生も、戸田先生も、教育者であった。私も、『教育こそ最後の事業』と定め、全魂を注いできた」と、教育者だった初代・二代の両会長と比肩するように自分も教育事業に挺身したことを誇示していることからも明らかだろう。

そうした池田氏の意思を具現化したものが創価学園・創価大学・創価女子短大(以下・女子短大)なのだが、大学の創立者になったことで池田氏には、世界各地の大学からの名誉博士・名誉教授という栄誉がもたらされ、イギリスの歴史学者アーノルド・トインビーとの対談が可能となったように、学者・文化人らとの交友の道が開けた。

その意味で教育事業は、日本の一新興教団の会長に過ぎなかった池田氏に、世界的規模の文化人・平和指導者であるという権威・カリスマをまとわせるための重要なツールとなった。

だが池田氏の死去から1年を経ずして、池田氏が「全魂を注いだ」という教育事業に危機が迫っていることが明らかとなった。学校法人・創価大学が、26年度から女子短大の学生募集を中止すると発表したからである。

「創価女子短期大学2026年度以降学生募集を停止 女性教育の伝統は創価大学が継承」と題した5月2日付『聖教新聞』記事によると、「18歳人口の減少や共学・四年制大学志向が強まるなど、近年の社会状況の変化による影響は大きく、短期大学の学生募集は厳しい状況となって」おり、女子短大では「入学定員の未充足が続いており、同様に将来的にも厳しい状況」が見込まれることから、26年度以降の募集を中止し、「女性教育の伝統は創価大学が継承」するのだという。要するに定員割れが続き、今後、改善する見込みもない女子短大は学生募集を中止して廃校とし、創価大学に吸収合併するということのようだ。

たしかに費用対効果や将来性を勘案すれば、女子短大を創価大学に吸収合併することは合理的判断とも思える。しかし池田氏が「全魂を注いだ」教育事業の中核的施設であるとともに、池田氏が「知性と福徳ゆたかな女性」「自己の信条をもち人間共和をめざす女性」「社会性と国際性に富む女性」という建学の指針を与えた女子短大を閉校とすることは、池田氏が存命していたら許されただろうか。

創価学会は池田氏の死去を視野に入れて、2015年から教義条項の改正や会憲の制定など、ポスト池田に向けて教義・組織・制度の改変を実施してきたが、「教育こそ最後の事業」として、池田氏が「全魂」を注いできた、いわば「聖域」ともいえる教育事業の中核である女子短大を閉校することは、創価学会が生き残りをかけて、たとえ池田氏の「聖域」であっても切るものは切るという姿勢に転じていることを端的に示しているのではないか。

もっともその背景には、女子短大を吸収する本体の創価大学の将来性も決して明るくないという現実がある。創価大学が公式サイトに公表している「入学者数の推移」によれば、創価大学の学部生の一学年の定員は1500人。21年度までの入学者数はこれを上回っていたが、22年度は1365人、23年度は1245人と2年続けて定員割れしており、創価大学の学生募集も厳しい局面に立たされていることが分かる。おそらく女子短大の吸収合併には創価大学の定員割れを補完する狙いもあるはずだ。女子短大は切っても池田氏のカリスマの源泉である創価大学だけは死守したいということなのだろう。

すでに本誌でたびたび指摘しているところだが、創価学会が「広宣流布のバロメーター」とする公明党の国政選挙での比例区票数は、2005年の郵政解散総選挙の898万票をピークに減少を続けており22年の参院選では618万票にまで落ち込んでいる。

同様に「池田先生のお手紙」である『聖教新聞』を配達することから、「無冠の友」と讃えられてきた機関紙の配達員の確保もいまやままならなくなっており、茨城県を皮切りに兵庫・愛媛・高知など複数の地方組織で読売新聞や地方紙の販売店の手を借りなければ『聖教新聞』の配達ができないまでに活動力・組織力が低下していることも分かっている。

かてて加えて今回の女子短大の学生募集停止の発表である。その背景にある女子短大と創価大学の定員割れの事実は、学生の供給源である創価学会の会員数の減少、なかんずく大学に進学する若年層の減少が著しいことを示唆している。

 

ローマ教皇会見の肝は師弟論

さる4月24日、民間の有識者らからなる「人口戦略会議」が、将来的に消滅する可能性のある自治体が、全国の自治体の40パーセントにあたる744もあることを公表した。消滅の定義は、2020年から50年の30年間で、出産する可能性のある20~39歳の世代の女性が半数以下に減少すると予想される場合だが、女子部員数の減少を背景に女子部と婦人部を合体させて女性部を結成した創価学会も、「消滅可能性自治体」とは言わないが、相当に厳しい局面にあることが推測できる。

だが創価学会は、このような“不都合な現実”を抱えているにもかかわらず、“発展幻想”を取り下げようとはしない。今年の5月に創価学会はヨーロッパ、韓国、中国に訪問団を送り、創価学会は2030年の創立100周年に向けて世界宗教として着実に発展しているとの演出を繰り返している。

特に5月10日に、イタリア・ローマのバチカンでカトリック教会のフランシスコ教皇と原田稔会長が会見したことを、5月12日付『聖教新聞』は、「原田会長がカトリック教会の中心・バチカンで フランシスコ教皇と会見」と大々的に報道。記事中では、教皇が池田氏や創価学会の平和活動や宗教間対話の促進を評価し、創価学会の活動に賛同している旨を繰り返し報じている。要するに創価学会の平和活動・宗教間対話にローマ教皇がお墨付きを与えたかのような記述であり、これをもって創価学会は世界宗教たるカトリックと肩を並べているかのような印象を与える紙面構成となっている。

この原田会長とローマ教皇の会見を、創価学会の外郭出版社である第三文明社が運営するWEBサイトで、世界史的「カイロス(画期・転換点)」だと評価しているのが元外務省主任分析官で作家の佐藤優氏。

ここで佐藤氏は、核廃絶について両者が「価値観の完全な一致をみた」ことや、ウクライナ戦争に関して「一方の側に肩入れをしているカトリック教会」が、「命を守ることが重要だって転換」した背景には、池田氏のウクライナ提言が影響しているとし、「大きな流れでいうと世界宗教たる創価学会の価値観に、世界宗教であるカトリック教会が追い付いてきたと。で、特にここで重要なのは、明示的に人間革命の冒頭『戦争ほど残酷なものはない。戦争程悲惨なものはない』と、そのここのところを明示的に教皇に対して言って、教皇から明示的に完全に賛成である」との言質をとったことは、「世界史的意義がある」「歴史を画するカイロス」だと語っている。

「世界宗教たる創価学会の価値観に、世界宗教であるカトリック教会が追い付いてきた」とする佐藤氏の創価学会認識には呆れるしかないが、さらに驚くべきは、この会見でもっとも重要なことは、原田会長が池田氏への「報恩の戦い」「師弟の戦い」を実践していることだと、こう強調していることだ。

「5月10日の原田稔会長と、それからフランシスコ教皇の会見は歴史に残る非常に重要な会見でございまして、その中のどこに最大の重要性があるかというと、1975年に池田先生と教皇の会見が設定されていたにもかかわらず、宗門の妨害でそれが実現できなかった。それを枢機卿にきちんと説明して、それが聖教新聞に出て、こういう文脈で行われた会談だということなんで、池田先生が亡くなった後、弟子である、あの原田会長が、池田先生へのひとつの報恩の戦いのひとつとして、池田先生が宗門の妨害でいけないことを、今回実現したっていう、これは師弟の関係というものがこうやって生きているんだっていう、その点がいちばん重要なこと、僕は思うんですよね」

プロテスタントである佐藤氏だけに、カトリックが創価学会の後塵を拝していると主張することは分からないでもないが、創価学会の師弟論を持ち出して原田会長の行為を正当化するとともに、反戦・反核での合意よりも師弟の戦いを会見における「いちばん重要なこと」と強調することの異様さは、創価学会の「内在的論理」すなわち創価学会がもっとも強調して欲しいことを、佐藤氏が知悉していることの結果だろう。

「教育こそ最後の事業」として池田氏が注力した結晶である女子短大の廃校を決めたように、宗教的・政治的な池田氏の言動や事績をことごとく破壊ないしは改変し始めている原田創価学会。その“反池田性”を糊塗し、正当性をアピールするための手段として、池田氏が実現できなかったローマ教皇との会見を、「直弟子」を称する原田会長が果たしたと自賛しているとすれば、草葉の陰の池田氏も浮かばれまい。

 

乙骨正生(おっこつ・まさお)フリージャーナリスト。1955年生まれ。創価中学・創価大学法学部卒。宗教・政治・社会分野などを取材、週刊誌・月刊誌を中心に執筆。著書に『怪死』(教育資料出版会)『公明党=創価学会の野望』『公明党=創価学会の真実』『司法に断罪された創価学会』(かもがわ出版)など。

 

信濃町探偵団──創価学会最新動向

  • 訪欧&訪中――“世界宗教”の体裁粉飾に注力する創価学会

・5月7日付『聖教新聞』「歓喜のフランス総会」「原田会長、永石女性部長ら欧州訪問団が出席」「創価三代の精神をフランスに留める 恩師記念室が開設」

・5月11日付『聖教新聞』「世界宗教への飛躍の象徴 イタリアが誓いの総会 欧州訪問団が出席 ローマ文化会館で」

・5月12日付『聖教新聞』「原田会長がカトリック教会の中心・バチカンで フランシスコ教皇と会見」

「原田会長が10日午前、バチカン市国のアポストリコ宮殿でローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇と会見した。(中略)創価学会としては、17年に核兵器のない世界を展望する国際会議の参加者としてバチカンを訪れた、池田博正SGI副会長らが教皇に面会した。昨年には、池田大作先生の逝去に当たり、教皇からの弔意がイタリア創価学会を通じて寄せられた。この中で教皇は『池田先生がその長いご生涯において成し遂げられた善、とりわけ、平和、そして宗教間対話の促進に尽力されたことを、感謝とともに記憶にとどめております』と述べた」

「(会見では)会長が『混迷する現代にあって、平和を希求する宗教として、差異を乗り越え、人間愛に基づく行動を共にすることを願っています』と述べると、教皇は『大変に素晴らしいことです』と応じた。(中略)その後、会長は『人類の幸福と世界平和のために、今後も歩みを共にしたい』と述べ、教皇は、現今の社会情勢を憂いつつ、『戦争は敗北のしるしであり、絶対に消さなくてはなりません』と強調した。

会長は、創価学会は池田先生のリーダーシップのもと、半世紀以上にわたり核兵器廃絶に取り組んでおり、SGIとICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)がパートナー関係にあること、また先生が23年に核兵器の先制不使用について提言を発表したことを紹介。教皇は、強い言葉で核兵器を批判するとともに、これらの学会の取り組みについて『素晴らしい。私も同意します』と語った。

会長が、小説『人間革命』の冒頭の一節『戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない』を通し、学会はこの精神を根本として平和運動を展開していると語ると、教皇は『大切なことです。賛同します。私も同じ意見です』と述べた」(上写真)

・同「ガンベッティ枢機卿と語らい」

「原田会長は10日、フランシスコ教皇との会見に続き、マウロ・ガンベッティ枢機卿とローマ市内で会見した。永石女性部長、寺崎SGI平和運動総局長が同席した。(中略)原田会長は、平和のための宗教間対話を貫いた池田先生とローマ教皇の会見が1975年に一度決定しながら、教条的な日蓮正宗宗門の横やりによって実現を見なかった史実を紹介。今日は先生の意志を体現し、教皇との会見が実った歴史的な日となったと述べた」

・5月14日付『聖教新聞』「欧州・アフリカ合同広布会議」「欧州34カ国アフリカ9カ国の同志が参加」「ドイツ・フランクフルト池田平和文化会館で 原田会長、永石女性部長らが出席」

 

※原田稔会長ら創価学会欧州訪問団が、5月初旬から中旬にかけてフランス・イタリア・ドイツなどを訪問し、各種の行事を開催。『聖教新聞』がその模様を「世界宗教への飛躍の象徴」と題して報道。自らを「世界宗教」と自画自賛することに創価学会が注力している。

特に今回の訪欧では、原田会長とカトリックの総本山であるバチカンのローマ教皇とが会見したことから創価学会は、池田三代会長が「教条的な日蓮正宗宗門の横やりによって」果たせなかった悲願を実現したと大喜び。

さらに原田会長との会見でローマ教皇は、池田会長が示した創価学会が平和主義に理解を示すとともに、創価学会が展開する平和活動に賛意を示したと報道。創価学会の価値観や存在意義を世界宗教であるカトリックの教皇が認めたかのようなアピールを行っている。

こうした創価学会の意図を、より直截的に示しているのが創価学会の外郭出版社である第三文明社が運営する「WEB第三文明」における元外務省主任分析官で作家の佐藤優氏の「原田会長(創価学会) フランシスコ教皇(ローマ・カトリック教会)歴史的会見について」と題するコメントである。

ここで佐藤氏は、両者の会見の意義を「二つの巨大な世界宗教」が反戦で共通認識を確認したという意味で世界史的「カイロス(画期・転換点)」だと高く評価。その上で、「大きな流れで言うと、世界宗教たる創価学会の価値観に、世界宗教であるカソリック教会が追いついてきた」などと発言している。

ちなみに佐藤氏は『聖教新聞』を子会社の東日印刷で大量に刷っていることで知られる毎日新聞社が運営するニュースサイトの「政治プレミア」(5月23日付)にも、「佐藤優氏がみた 創価学会とバチカンの『一致』」なる記事を掲載。両者の会見は宗教的見地のみならず国内政治にも影響を及ぼすと主張している。

もっとも日本の大手メディアで両者の会見を報じたのは、『毎日新聞』のみ。佐藤氏が世界史的「カイロス」だと主張する割には注目を集めることはなかった。佐藤氏は従来から日本メディアの創価学会報道は「偏向」していると主張しているから、日本のマス・メディアが会見を取り上げなかったことに慨嘆することはないだろう。だが、会見の一方の当事者であるローマ・カトリックのサイトや教皇庁のサイトもまた、世界史的「カイロス」だと評価する教皇と原田会長の会見をまったく報道しなかったことについては、どう思っているのだろうか。

宗教界や宗教学界では周知のことだが、ローマ・カトリックは、1962年から65年にかけて行った第2バチカン公会議以来、世界各地の諸宗教と「宗教間対話」を続けており、ローマ教皇も多くの宗教指導者と会見を重ねている。日本に限ってもローマ・カトリックは立正佼成会や天台宗を中心とする日本宗教者平和会議(WCRP)と早くから対話を重ねるなど太いパイプを結んでおり、ローマ・カトリックから見れば、創価学会は新参者。まして創価学会が「宗教間対話」に後ろ向きだったことは、日本の宗教界では誰一人知らぬ者のない事実であり、ローマ・カトリックがこのことを知らないはずはない。それでも受け入れる一方で、ローマ・カトリックや教皇庁のサイトがローマ教皇と原田会長との会見を報じていない事実は、ローマ・カトリックすなわちバチカンの創価学会に対する“素”の評価を示しているのではないか。

もとよりこうした事実を知らない創価学会員は、原田会長がローマ教皇と会見したことの意義を、世界史的「カイロス」などと評価する佐藤氏の“迷解説”に惑わされて、ヌカ喜びというか勘違いするのだろうが。

ところで『聖教新聞』は、原田会長がガンベッティ枢機卿との会見の席上、池田三代会長が1970年に当時のローマ教皇と会見する予定があったが、「教条的な日蓮正宗宗門の横やりによって実現を見なかった」ことを強調し、日蓮正宗の閉鎖性を非難している。日蓮正宗に対するネガティブ・キャンペーンの一環なのだろうが、当時、日蓮正宗の信徒団体を標榜していた創価学会はキリスト教を「外道」と位置づけ批判していた。仮にローマ教皇と会見していた場合、教義的整合性をどうするつもりだったのだろう。おそらくバチカン市国の元首として誤魔化すつもりだったのだろうが、そうであったとすれば、これまたあざとい。

 

・5月27日付『聖教新聞』「創価学会代表訪中団が北京へ」「招聘元の人民対外友好協会を表敬 原田会長ら一行が楊万明会長と会談」

「池田大作先生の初訪中から今月30日で50周年。この節目を目前に、原田会長を総団長とする創価学会代表訪中団が26日、北京に到着した。中国人民対外友好協会、中日友好協会の招へいによる。日中の平和と友好に心血を注いだ先生の意志を継ぎ、民衆交流、青年交流の新時代を開くべく、各地で交流行事に臨む」

・同「人民抗日戦争記念館で献花 北京郊外の盧溝橋」

「創価学会代表訪中団は26日午後2時、北京郊外の中国人民抗日戦争記念館を訪問。戦争犠牲者に追悼の黙とうをささげ、原田会長が代表して献花した。(中略)献花に続いてあいさつした原田会長は、学会の平和行動の原点に、軍部政府の弾圧に抗した初代会長・牧口常三郎先生と第2代会長・戸田城聖先生の獄中闘争があると言及。両先生を継ぎ、平和哲学の流布と日中の友好に生涯をささげた第3代会長の池田先生の意志のままに、不戦の道を進む誓いを新たにしたいと述べた」

・5月29日付『聖教新聞』「原田会長ら代表訪中団 朱永新政治協商会議副主席と会見」

「創価学会代表訪中団の原田会長、谷川主任副会長をはじめ一行は28日午後3時から、中国人民政治協商会議の朱永新政治協商会議副主席と、北京市内の釣魚台国賓館で約1時間にわたり会見を行った。(中略・会談には)金杉憲治駐中国日本大使らが同席」

 

※ヨーロッパを訪問した後、沖縄を訪問(5月18・19日)するなどしていた原田会長は、月末には創価学会訪中団の総団長として中国を訪問。抗日戦争記念館を訪問して献花したり、朱永新政治協商会議副主席と会見するなど多忙な日程をこなした。

「池田先生が心血を注いで中日友好の『金の橋』を架けたことに、心から感謝したい」(5・29付)と述べる朱政治商工会議副主席に対して原田会長は、「“政治・経済は船であり、民衆こそ海である”との池田名誉会長の教えのままに、これからも幅広く青年・教育・文化交流を展開したい」(同)と応じたとある。

中国が対日工作の橋頭保として創価学会・公明党を高く評価していることは事実だが、かつて池田大作氏が訪中した際には、周恩来首相や華国鋒主席、鄧小平副首相など国家・共産党の最高首脳が会見していたにもかかわらず、原田会長の会見相手は、中国人民政治協商会議の副主席と格下感は否めない。というのも全国人民政治協商会議とは、全国人民代表大会と並ぶ「両会」と称される重要な機関ではあるものの、国政の助言機関にすぎず共産党の指導下にある下部機関だからである。

この一事をもってしても中国側の創価学会・公明党に対する評価が下がっていることが見てとれるが、そうした見方を裏付けているのが、昨年11月に4年ぶりに訪中した公明党の山口那津男代表への中国側の対応である。訪中した山口代表は習近平国家主席との会談を切望したにもかかわらず受け入れられることはなく、結局、中国共産党で序列5位の蔡奇政治局常務委員との会談しかできなかった。

ちなみにそれから2か月後の今年1月に訪中した社民党の福島瑞穂党首は、中国共産党序列4位の王滬寧政治局常務委員と会談している。序列5位と4位、わずか1位違いだが、福島党首との会談相手が山口代表の対談相手よりも格上だったことはまぎれもない事実。また福島党首と会談した王政治局常務委員は、今回、原田会長が会見した朱政治協商会議副主席が所属する中国人民政治協商会議の全国主席と上位者でもある。

中国からの評価を自らの国際的評価あるいは存在意義として喧伝してきた創価学会にとって、原田会長や山口代表への中国側の“塩対応”は、創立100周年に向けて「世界宗教」として発展することを掲げる創価学会にとって、厳しい現実にほかならない。

もっとも創価学会が日中友好をリードしているかのように喧伝する『聖教新聞』からは、そうした現実は浮かび上がってこない。

佐藤氏が「二つの巨大な世界宗教」「世界宗教たる創価学会」などと力説するものの、創価学会の現実は、池田氏が「教育は私の最後の事業」(01年5月本部幹部会)と語っていた教育事業の中核である創価女子短大の生徒募集の停止=廃校が発表(5月2日付聖教)されるなど勢力衰退は著しい。

「十人の下種拡大」を合言葉に会員獲得を図る創価学会。相次ぐ原田会長の海外訪問は、そうした現実から会員の目を背けさせるための目眩ましに過ぎない。

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