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2024年3月号池田創価学会とはなんだったのか

3月号目次

 

閻魔帳

「平和の党」が後押しする日本の兵器輸出/古川利明

 

連続特集/総括! 池田創価学会とはなんだったのか②

 

池田大作名誉会長の指導力(2)/我流双典

私が見た池田大作・創価学会&公明党の正体(2)/有川靖夫

 

トピックス

統一教会側からのリークが続く岸田政権 解散命令請求審理への影響は/鈴木エイト

トピックス

軍事費増強が招く重税国家──自公政権11年の悪夢/浦野広明

 

  • 連載

信濃町探偵団──創価学会最新動向

「日本の議会政治」を考える(第3回)

「議会開設運動」の始まり(3)/平野貞夫

ナニワの虫眼鏡(第57回)

維新のキャッチフレーズ「身を切る改革」 不祥事議員を生み出す諸悪の根源か!?/吉富有治

ヨーロッパ・カルト事情(307)

セクト的逸脱対策強化法案上程/広岡裕児

執筆者紹介&バックナンバー紹介 編集後記

 

 

編集後記から

かつて創価学会の「影の会長」「影の大蔵大臣・金庫番」などと呼ばれ、昨年11月15日に死去した池田大作名誉会長の最側近だった中西治雄氏が2月中旬に鬼籍に入りました。

戸田城聖二代会長が経営した金融会社「東京建設信用組合」「大蔵商事」時代から、池田氏の片腕として池田氏を支え続け、池田氏が会長就任後は池田氏の身の回りの世話をする第一庶務の初代室長として、文字通り池田氏の表と裏に精通し、金銭問題や女性問題の処理にあたるとともに、池田氏の母の死去に際しては葬儀の総責任者を務めるなど、さながら池田家の執事的存在、池田氏の分身的役割を果たしてきたことから、中西氏は「影の会長」などと呼称されていたのです。

しかしその中西氏は、あまりにも池田氏に近く、その裏表に精通することで「人間・池田大作」の実態を知り尽したことから、やがて池田氏から心が離れていったものと思われます。創価学会と日蓮正宗の第一次対立が深まった1979年に中西氏は1週間ほど姿をくらましますが、その頃から事実上の飼い殺し状態となり、10年後の89年6月に、横浜のごみ処分場で聖教新聞社から出た古金庫で1億7000万円の現金が発見された、いわゆる「横浜捨て金庫事件」が発生すると、その責任者として詰め腹を切らされ創価学会を去りました。

当時、マスコミをはじめ創価学会の関係者ですら捨てられた金庫の金は「池田氏の裏金」と見ていました。しかし中西氏は自分の責任として身を引いたのですが、その理由として中西氏は、矢野絢也元公明党委員長に「(本尊)模刻事件の罪滅ぼしだと思って、私は今回の一件を引き受ける」(『黒い手帖 創価学会「日本占領計画」の全記録』)と語っており、日蓮正宗と創価学会が対立する決定的な要因の一つとなった本尊模刻(偽造)事件に関与した責任を吐露していたということです。

晩年には日蓮正宗に帰依し清貧に生きたという中西氏については、「池田創価学」の総括と検証を試みる中で稿を改めたいと思います。

小誌の本年1月号(336号)掲載の「閻魔帳」では、竹入義勝元公明党委員長の死去について触れ、池田氏と創価学会の実像・実態を知る生き証人がいなくなることの苦衷に触れましたが、中西氏の死去についても思いは同じです。池田氏と創価学会の実像・実態を知る多くの人々の勇気ある情報提供を念願する次第です。

連連続特集/総括! 池田創価学会とはなんだったのか②

私が見た池田大作・創価学会&公明党の正体(2)

有川靖夫

元公明党大田区議会議員

元創価学会理事

 

天下取りの挫折と狡猾な反撃

昭和42(1967)年1月29日に行われた第31回衆院総選挙で、初めて衆院選に進出した公明党は32人の候補者中25人を当選させ、一躍野党第三党に躍り出たことで社会の大きな注目を浴びた。

当時、公明党本部渉外部の職員だった私は、内外の人達から党本部に寄せられた意見・要望をまとめ、委員長室に届ける機会があった。初めて見る委員長室。主は不在。部屋の壁には一枚の写真と二枚の色紙が掛けてあった。

写真は前列中央の椅子に、創価学会第三代会長・池田大作氏が座り、その周りを衆院選で当選した25人が胸を張って囲む集合写真だった。そして一枚目の色紙には、

妙法の 宝を胸に抱きしめて 君ら戦え 天下取るまで

とあり、二枚目の色紙には、

中原鹿を争うも たれか王者の 師を学ぶ

(土井晩翠の詩「星落秋風五丈原」の一節)とあった。

遡ること15年前の12月、戸田城聖創価学会二代会長は、側近の大幹部を含む青年部幹部37名を選抜して、「水滸会」という名の人材育成の会を発足。そこでは、政治・経済・文化・宗教など、社会のあらゆる現象をどう把握し対処すべきかを語りながら、“天下取り”の戦略・戦術を叩き込んだ。

後に「水滸会記録」などと言われるその発言録を記録したのが、当時青年部参謀室長だった池田氏だとされるが、そこには「水滸会」参加者の誰に聞いても「聞いたことがない」という戸田会長の遺言が二つ付け加えられたという。それは、

①衆議院に進出せよ。

②第三代会長を守れ、絶対に一生涯守れ、そうすれば必ず広宣流布ができる。

というもの。これによって「水滸会」とは、池田氏が次期会長職を戸田会長から相伝される場であったかのような改ざん・粉飾がなされたと見られている。

そのことは、この記録の表題を、日蓮正宗の開祖で総本山・大石寺の開山でもある日興上人の「遺誡置文二十六箇条」に擬して「水滸会遺誡置文二十六箇条」と権威付け、内容についても戸田会長の口伝であるかのように装った上で、戸田会長の死去まで門外不出の秘伝書として、聖教新聞社資料室に秘匿してきたのだった。

ところが昭和54(1979)年に創価学会から造反した、池田側近の原島嵩教学部長がこれを密かに持ち出し、世間に公表したため、池田氏の「天下取り」の野望が明白となった。その主な内容とは、

①総理大臣の座を奪い、日本を思い通りに動かす。

②当然、自衛隊を動かす権限を持つ。

③官庁や社会の重要ポストを青年部出身者で抑える。

④金を使って百人ほどの国会議員を思い通りに動かすことが出来るようにする。

⑤学会批判の言論については、青年部を使ってつぶす。

⑥その他あらゆるところに手を打っておいて、一気に国家改革を行ってしまう。

⑦昔の武器は刀、現在の武器は財力……。

しかし、皮肉なことに池田氏の「天下取り」の野望は、創価学会自体が引き起こした「言論出版妨害事件」によって、完全に挫折した。

この事件は根が深く、梶山季之・竹中信常・隈部大蔵・内藤国夫・塚本三郎各氏等多くの著作者が、学会・公明党に出版を妨害された。なかでも明治大学教授で政治評論家の藤原弘達氏の『創価学会を斬る』の出版を巡って、学会は藤原氏や出版元の日新報道に出版中止を要求したが拒否されたため、公明党の竹入義勝委員長を使って自民党の田中角栄幹事長(当時)に収拾を依頼したことが発覚し、世間を騒がせた。

事態を重視した日本共産党は、公明党に対して25項目の公開質問状を送り、国会においては池田会長の証人喚問を要求した。

証人喚問を恐れた池田氏が考えたことは、共産党の手足を縛るための「創共協定」の伏線を敷くことだった。すなわち作家・松本清張氏の仲介で二度にわたって行われた池田会長と宮本顕治日本共産党委員長との会談などを経て、昭和50(1975年)7月に協定は成立し、創価学会と日本共産党は相互理解を確認、向こう10年間、敵視政策を撤廃することを約束しあったのである。

この協定について池田氏は、当時、東京・青山の寿司「満月」での御義口伝講義受講者との懇談会の席で、両者は相容れない立場ではあるが、薩長連合のように手を組み、驕る自民や財界に活を入れようと思った(趣意)と吐露している。しかし、池田氏による頭越しの協定締結に公明党の竹入委員長は、公安調査庁が破壊活動防止法に基づく調査対象団体としている共産党と手を結ぶことは、学会が同庁の監視対象にされることになると猛反発。これに池田氏は苦々しい表情を見せた。

だがその裏で池田氏は、矢野絢也公明党書記長に対して、学会は共産党と手を結んだが公明党は共産党を攻撃せよとけしかけた。矢野氏は「自分から協定を結ばせておいて、この二枚舌。ひどい話である」と述懐している。

 

市川雄一参謀室長の登場!

共産党攻撃は公明新聞主幹の市川雄一氏が請け負った。共産党からの25項目の公開質問状には丁寧に反論する一方、返す刀で「憲法三原理をめぐる日本共産党への批判」と題して、70項目200余問の逆質問状を送付したのである。

逆質問状の送付に先立って市川氏は、公明党機関紙局内に理論派の記者を集めて共産党対策に本腰を入れ、共産党がそれまで公表してきたすべての書籍や文献を読み込み、問題だと思われる疑問点を整理したうえでメンバーに割り振り、公開質問状形式の原稿を提出させた。メンバーの原稿やゲラになった文章は市川氏によってうんざりするほど加筆訂正された。その粘りとしつこさは異常としか言いようがなかった。

二段階革命論、複数政党・信教の自由の危機、人民憲法と強大な軍事力――等々に言及した、一般に公明党と共産党との「憲法論争」といわれるこの論争で、共産党に一矢を報いたことに最も気を良くしたのが池田会長だった。そのことを象徴する場面を私は体験している。

公開質問状が書籍化された頃、学会本部5階の広宣の間で行われた創価学会男子部の主要幹部である参謀に対する参謀バッジの授与式での出来事である。

「池田先生が入場されます!」との司会者の甲高い声。颯爽と入場した池田会長は、題目を三唱した後、次のように語った。

「今日、この席で市川雄一を参謀室長に任命する(一瞬、会場にどよめきが走った。なぜなら、この役職は池田氏が会長に就任して以来、空席となっており、この役職に就く人は次期会長になる人と噂されていたからだ)。

なぜ、市川を参謀室長にするかと言えば、日本共産党と一番戦っているからだ。広宣流布の最後の仕上げは共産党との戦いになるだろう。今後、あらゆる戦いで、理論闘争で負けるようであれば私の弟子ではない。また、同様に今後、あらゆる選挙にもし負けるようなことがあれば、すべて今日集まった参謀の責任である」(趣意)。

そう語った池田会長は、自らが付けていた参謀の金バッジは番号がゼロ番であることを明かした上で、それを外して市川氏の胸に付け替えた。ちなみに1番・2番は青年部出身の副会長となっていた青木亨・福島源次郎の両氏、私は600番代だった。

後に市川氏は、池田氏が参謀室長の在り方を教えておくと伝授した内容を、公設第一秘書の私に漏らすことがあったので、その一部を紹介する。

☆「長期政権を維持するには、他に権力を分有しないこと」=日本共産党の宮本顕治委員長を研究した結果の感想とのこと。

☆「目標を達成するためには、動かす事の出来ない現実からスタートし、鉄のパズルの中間目標を隙間なくはめ込み登攀させる」=選挙勝利の方程式として。

☆「堅固な組織を作るには、問題を起こした人物に詫び状を書かせ、裏切れないようにし、後に昇格させる」=池田の人事操縦術の要諦。実際、職場で競馬のノミ行為をしていた男を都議会議員に登用した。

☆「周りの部下にはすべてに忠誠度の点数をつけ、それに見合った付き合いをする。99%信用ができても、残り1%異質なことがある人間が一番怖い」=秘書として仕えていた私に対しても、「それがお前だ」とレッテル貼りをされて警戒された。

☆「自分に反感を持つ人間には一杯飲ませ、自分の悪いところを教えてくれと言ってすべて吐き出させ、後に処分する」=私が市川氏の秘書に決まる前にもこの場面に遭遇したが、ぺらぺら喋って左遷された友人に事前にアドバイスを受けていたので、黙して語らず、初代の公設第一秘書に登用された。

☆「トップの人事を替えたいときは、ナンバー2に裏金を持たせ、部下の人脈の流れを変えてしまう」=皮肉なことだが、市川氏自身が後に池田氏による権謀術数によって失脚した。市川氏は小沢一郎氏と組んで新進党で自民党に代わる政権構想を模索したが、自民党の反撃によって窮地に立った池田氏は、自公連立に舵を切る過程で、「市川に騙された」などと発言し、市川氏を切ったのである。(以下次号)

 

有川靖夫(ありかわ・やすお)ノンフィクション作家。1943年生まれ。山形大学教育学部卒。創価学会副学生部長・男子部参謀・理事等歴任。公明党書記局・公明新聞社会部記者・市川雄一書記長第一秘書・大田区議(6期)。著書に『官僚たちの聖域―ドキュメント小説』(学陽書房)『国家の偽装−これでも小嶋進は有罪か』(講談社)『検証・羽田空港 ハネダ・エアベースから跡地53ヘクタールまで』(早稲田出版)『「一凶禁断」の獅子吼 創価・公明のペルソナを剥ぐ』(風永社)など。

 

信濃町探偵団──創価学会最新動向

  • 自民党と距離を置く姿勢を演出し「立党精神への回帰」を掲げる創価・公明の手練手管

・2月5日付『聖教新聞』「座談会 創立100周年へ新時代の暁鐘」「結党以来政治腐敗と戦ってきた公明」「衆望に応える改革」

「宇野(女性部主任部長)本年を『令和の政治改革元年』と位置づける公明党は、自民党派閥の政治資金問題を受け、資金の透明化と罰則強化を柱とするビジョンをいち早く発表し、国会に臨んでいます。(中略)

永石(女性部長)『清潔な政治の実現』を目指し、結党以来、政治腐敗と戦ってきたのが公明党です。1999年に自民党との連立政権に参加してからは、政治改革の“エンジン役”を担ってきました。例えば、1円以上の政治資金支出の領収書公開を義務付けた際は、『渋る自民党を説き伏せ』(毎日)と報じられました。

原田(会長)公明党の政治改革ビジョンを、麗澤大学の川上和久教授は『政治がまた一から積み重ねるべき“信頼の貯金”の起点に』と期待しています。政権与党の一角として、公明党は衆望に応える政治改革をリードしてもらいたい」

2月19日付『聖教新聞』「連立組む公明の改革案は重要 識者」「衆望に応える政策」

「梁島(男子部長)国会では連日、自民党派閥の政治資金問題を巡り、議論が交わされています。公明党は現在、自民党に対して制度改革案を速やかに示し、与野党協議の場を早期に設置するよう要望しています。

西方(青年部長)公明党は先月18日、資金の透明性と罰則強化を柱とする『政治改革ビジョン』をいち早く発表しました。『政策活動費』の使途公開の義務付け、『調査研究広報滞在費(旧・文書通信交通滞在費)』の使途の明確化と公開・未使用分の返納、政治資金を監督する独立した第三者機関の設置、会計責任者が不正した場合に国会議員の連座責任を問える『連座制』の強化、などです。(中略)

原田 結党時から清潔な政治を目指し、不正を糾弾してきた公明は、今回も政治改革の旗振り役になり、衆望に応えてもらいたい」

・2月21日号『創価新報』「新報紙上座談会 新時代の槌音」「政治改革をリードする公明党」「ネットワークの力を生かして被災者支援を拡充」「立党の精神を胸に資金の透明性確保と罰則の強化を」

「西方 公明党は発災直後から地元議員をはじめ、国会議員や他の地方議員が連日、現地に入り、被災地の復旧・復興、被災者の生活再建に奔走しています。また、被災現場を回る中で得た対策に必要な情報は、党内で日々共有され、随時、地元の首長や国・自治体の関係部局に届けられています。(中略)

森薗(学生部長)公明党の山口代表は、今月10日に行われた全国県代表協議会で、今回の政治資金問題を引き起こした自民党の自浄能力が問われていると指摘し、『再発防止に向けた自民党の制度改革の具体案を早急に示すことを強く望む』と要望しました。

また、公明党が『政治改革ビジョン』で掲げた政治資金の収支の透明性と罰則の強化に向けて『政治資金規正法の改正を断じて成し遂げたい。そのための与野党協議と幅広い合意形成をリードしていく』と訴えています。(中略)

森薗 公明党は結党当初から清潔な政治の実現を目指し汚職や腐敗を防ぐ改革をリードしてきました。特に1999年に自民党との連立政権に参画して以降、自民党を粘り強く説得しながら、政治家個人に対する企業・団体献金の禁止や、政治家や秘書らが、あっせん口利きを行って報酬を得ることを禁じた『あっせん利得処罰法』の制定といった数々の実績を積み重ねてきました。

西方 公明党がこうした改革を貫くことができたのは、『大衆とともに』との立党精神があるからです。公明議員はこの精神を片時も忘れることなく、改革の先頭に立ってもらいたい。私たち青年も厳しく政治を監視していきたい」

 

※自民党の政治資金パーティを巡る裏金問題について公明党の山口那津男代表は、昨年12月17日に動画投稿アプリ「TikTok(ティックトック)」に配信した動画で、自民党と「同じ穴のムジナに見られたくない」と発言した。

自民党と連立政権を組むとともに、選挙協力を通じて自公政治体制の強化を図ってきた公明党。20年を超える自公連立という政治体制の下で、特に民主党政権を打倒して政権に復帰して以降の自公連立体制の下で私たちが見せつけられたのは、“安倍一強”という異常な政治状況下における「モリ・カケ・桜」に象徴される政治腐敗の進行と、議会制民主主義の破壊・形骸化、そして公文書偽造に見られる“一強”政治に忖度し保身を図る官僚の堕落という無残な政治的現実だった。

そんな公明党の、桜を見る会では安倍首相の隣で嬉々として乾杯の杯をあげていた山口代表が、「同じ穴のムジナと見られたくない」とは、どの面下げていうかと呆れるしかないが、公明党の組織母体である創価学会も、機関紙『聖教新聞』掲載の首脳幹部座談会において、「結党時から清潔な政治を目指し、不正を糾弾してきた公明は、今回も政治改革の旗振り役になり、衆望に応えてもらいたい」(原田会長)などと、あたかも公明党が政治腐敗の解消に尽力する改革派のようにアピールすることで、公明党の政治責任を糊塗するとともに、公明党支援とともに安倍派を中心とする自民党の裏金議員らを学会員に支援させることで、政治腐敗と議会制民主主義の崩壊を助長してきた自らの政治的・社会的責任の目眩ましを図っている。

そのことは2月21日付『創価新報』座談会記事における「公明党がこうした改革を貫くことができたのは、『大衆とともに』との立党精神があるからです。公明議員はこの精神を片時も忘れることなく、改革の先頭に立ってもらいたい」との発言からも明白。公明党が「結党当初から清潔な政治の実現を目指し汚職や腐敗を防ぐ改革をリード」(同)しえるのは、昨年11月に死去した池田大作会長(当時)が、昭和39年の公明党結党時に示した「大衆とともに」という「指針」に基づく「結党精神」によるというレトリックで、公明党ならびに自らの自己正当化を図っているのだ。

その上で公明党そして創価学会は、『産経新聞』(2月21日付)が「公明『平和の党』へ原点回帰図る 戦闘機輸出や憲法改正…中堅・若手には戸惑いも」と題して、「政治資金問題」では自民党の責任を指摘するとともに、「他国と共同開発する次期戦闘機の直接輸出・憲法改正」については慎重姿勢を崩さず、自民党内から反発の声もあがっていると報じるように、自民党と距離を置く姿勢を演じている。こうした公明党の姿勢を『産経』は、「結党60周年を迎えた公明党が、党勢拡大に向けて『原点回帰』を図っている。『平和の党』に象徴される党のカラーを鮮明に示すことで、次期衆院選に向けて組織を引き締めたい考えだ」「公明は、党勢の維持・拡大という観点からも党のカラーを強く打ち出す必要に迫られている。支持層の高齢化が進む中、昨年11月には党創立者である池田大作創価学会名誉会長が死去した。精神的支柱の喪失が活動の鈍化を招くことを避けるために、立党精神への回帰を図ることは必然ともいえる」と分析している。

そうした一面があることは否定しないが、公明党・創価学会の本音は、自民党への条件闘争と学会員や社会に向けた「平和・清潔の党」のアリバイ工作であることは明々白々。そのことは自民党・岸田首相が予算案を通過させることを目的に仕組んだ誤魔化しの政倫審直後に、異例の土曜国会で予算案の衆院通過を強行したことに公明党が手を貸したことからも分かろうというもの。「政界浄化」など本気ではないのだ。

もっともそうした姑息なアリバイ工作が奏功する可能性は低い。というのも各種選挙における公明党のじり貧傾向は続いており、1月・2月に実施された地方議会選挙でも議席数に変化はないものの公明党の得票数の減少は顕著だからだ。

例えば1月28日投開票の茨城県取手市議選では、得票数が前回の6895票から5703票と1192票のマイナスで、率にして18%の減少となっている。その前週の1月21日実施の宮城県名取市議選での公明党の得票数の減少は前回比25%という大規模なものとなっている。2月に入ってもこうした減少傾向は続いており2月11日投開票の愛知県弥富市議選では、前回比マイナス12%減。そして2月18日実施の埼玉県新座市議選でも12542票から11433票と、前回比でマイナス1109票と10%近い減少となっている。

公明党の石井啓一幹事長は、2月23日から配信された動画投稿サイト「選挙ドットコムちゃんねる」において、「公明党が今年11月に結党60年を迎えることに触れ『立党精神を引き継いで、日常活動の中で実践し、党創立者が示した公明党の姿を堅持していくことによって、支持者の皆さまの期待に応えていきたい』と力説」(2月27日付『公明新聞』)し、次期衆院選での公明党の獲得議席目標を「『11小選挙区の完勝と、比例区は現有23議席を確保したい。34議席が目標になる』と述べ、必勝を期す考えを示」(同)したが、地方選挙の結果は、公明党の置かれている厳しい状況を示して余りある。

「立党精神への回帰」や「原点回帰」を掲げて党勢拡大を唱える公明党と創価学会の意図は、池田氏の死を受けて「師の正義の顕揚」と、創立100周年の2030年に向けた「完勝」を掲げて学会員の尻を叩くこと。保身と延命のための手練手管として「死せる池田」を活用しているに過ぎない。

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