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2024年2月号連続特集/総括! 池田創価学会とはなんだったのか

2月号目次

 

閻魔帳

自民党の裏金事件でも意識せざるを得ない統一教会の影/藤倉善郎

 

連続特集/総括! 池田創価学会とはなんだったのか

 

池田大作名誉会長の指導力(1)/我流双典

「言論出版妨害事件」と「歴史改竄」の構図/柿田睦夫

私が見た池田大作・創価学会&公明党の正体(1)/有川靖夫

 

ピックス

「クリーンと言えば公明党(=創価学会)」ががっちりと下支えする「裏金塗れの岸田自民党」/古川利明

 

  • 連載

信濃町探偵団──創価学会最新動向

「日本の議会政治」を考える(第2回)

「議会開設運動」の始まり(2)/平野貞夫

ナニワの虫眼鏡(第56回)

維新と全面対決する公明党 ならば必勝の秘訣を伝授する/吉富有治

ヨーロッパ・カルト事情(306)

セクト的逸脱対策国家戦略(2024~2027)発表(2)/広岡裕児

執筆者紹介&バックナンバー紹介 編集後記

 

 

編集後記から

元日に能登半島を襲った大地震から1カ月余が経ちましたが、厳寒の中いまだに1万4千人をこえる被災者が、不自由な避難生活を余儀なくされています。

今回の震災では、自衛隊の逐次導入など、政府の対応の遅れが指摘されていますが、2月1日付『朝日新聞』掲載の「『認識甘かった』地震5時間、情報なき首相官邸 危機感共有されず」には、政府の対応は熊本地震と比べても後手後手であり、非常災害対策本部のメンバーで、復旧を指揮するべき斉藤鉄夫国土交通相(公明党)は、初動対応について「死者も安否不明者も、全然情報が入ってこなかった。そこまで大きな被害にならないと思っていた。認識が甘かった」と語っており、責任感の欠如を露呈しています。

通常国会召集日である1月26日、清和会(安倍派)を中心とする自民党の政治資金パーティを巡る裏金問題を捜査していた東京地検特捜部は、安倍派の幹部議員7人を、会計責任者との共謀の「容疑なし」として不起訴処分としました。次元は異なるとはいえ、たとえ生活苦からであったとしても大根一本盗んでも立件され、インボイスの導入など厳しい税の徴収に苦労しむ私たち庶民と違って、百万円単位・千万円単位の金を裏金として懐に入れても立件されず、課税もされない、いわば“特権階級”の悪徳政治屋に、庶民の痛みなど分かるはずありません。次期衆院選をはじめとする各種選挙での有権者の厳しい審判が不可欠です。

そんな悪徳政治屋の“集合体”とも言える自公連立政権を構成する公明党の創立者である池田大作創価学会名誉会長の「お別れの会」が、1月30日に行われました。これには大使・公使をはじめ46カ国の外交団や各界の代表が参列し、池田氏の遺徳を偲んだと創価学会は喧伝。また機関紙ではアメリカのバイデン大統領や中国の習近平国家主席からも弔電が来たことをアピールするなどして池田氏を礼賛、組織の求心力の維持を図っています。

そこで小誌は今号から「総括! 池田創価学会とは何だったのか」を連続特集します。創価学会が喧伝する虚飾に満ちた虚像の奥に隠された池田氏の実像・素顔に迫れればと企画しました。ご一読ください。

 

連続特集/総括! 池田創価学会とはなんだったのか

 

「言論出版妨害事件」と「歴史改竄」の構図

柿田睦夫

ジャーナリスト

 

「お詫び講演」に隠された本意

半世紀後の日本を予見して警告し、かつそれが現実のものになっているという意味で、間違いなく「名著」だといえるだろう。1969年刊の藤原弘達著『創価学会を斬る』である。刊行時に創価学会会長だった池田大作氏の死去を機に、同書と同書をめぐる「事件」が改めて問われることとなった(以下、肩書は当時)。

藤原氏は当時、明治大学法学部教授で著名な政治評論家でもあった。創価学会を組織母体とする公明党について、同書でこう警告していた。

「公明党が社会党と連立政権を組むとか、野党連合の中に入るというようなことは、まずあり得ないと私は考える。その意味において、自民党と連立政権を組んだとき、ちょうどナチス・ヒトラーが出た時の形と非常によく似て、自民党という政党の中にある右翼ファシズム的要素、公明党の中における宗教的ファナティックな要素、この両者のあいだに奇妙な癒着関係ができ、保守独裁体制を安定化する機能を果たしながら、同時にこれを強力にファッショ的傾向にもっていく起爆剤的役割として働く可能性も非常に多く持っている。そうなった時には、日本の議会政治、民主政治もまさにアウトになる」

実際、「自公連立」が1999年以降、今日まで続いている。いまや双方の利害が入り交った「癒着関係」にまでなっている。そしてそれは「保守独裁体制を安定化する機能」を果たし、「政治の安定」は公明党のメインスローガンにさえなっている。

とりわけ自民党の「右翼ファシズム的要素」を体現する安倍晋三政権以降、今日の岸田文雄政権のもとでは、集団的自衛権行使容認から武器輸出原則の変更、敵基地攻撃能力容認まで、憲法原則に抵触する重要事項を閣議決定だけで決めるという政治手法が常態化している。国会の機能封殺。それはナチス政権が登場した時の「形と非常によく似て」いるのだ。

創価学会と公明党は同書の出版阻止に動いた。藤原氏への直接工作には自民党の田中角栄幹事長の力まで借りた。田中氏が直談判に及んだ料亭の別室には公明党の竹入義勝委員長と矢野絢也書記長が控えていたと、のちに矢野氏が語っている。だが本人への説得は不調に終わる。

並行して、出版社や取次店にも工作。創価学会の末端幹部はそれぞれの地域の書店をまわり、同書を店頭に置かないよう要請した。著者宅や出版社には「出版すれば地獄に堕ちる」という類の手紙や電話が殺到した。

ここに言う「説得」や「要請」は、世間の常識では「圧力」「強要」である。著者への説得工作をした藤原行正公明党都議は、池田氏から直接それを指示されたことを明かしている(藤原行正『池田大作の素顔』)。

内藤国夫『公明党の素顔』や植村左内『これが創価学会だ』なども同様の被害にあっていた。増刷はしないことを条件に初版本を買い取って焼却するという構図も明るみに出た。

それでもなお、創価学会・公明党が「事実無根」と言い張るのを見て逆に世論が沸騰。真相究明のため池田大作氏の国会喚問を求める声もあがった。――これが「言論出版妨害事件」である。人々はそこに、この団体の言論封殺というファッショ的体質を見たのだ。

池田喚問を避けるために、創価学会は動かざるを得なくなった。70年5月3日の創価学会本部総会で、池田氏自らが「お詫び講演」に立った。

「今回の問題は、あまりにも配慮が足りなかったと思う。また、名誉を守るためとはいえ、これまでは批判に対して、あまりにも神経過敏にすぎた体質があり、それが寛容を欠き、わざわざ社会と断絶をつくってしまったことも認めなければならない。今後は、二度と、同じ轍を踏んではならぬと猛省したいのであります」(聖教新聞・70年5月4日付)

こうして急場は凌いだ。だがそれは池田氏の本意ではなかった。池田氏が胸にしまっていた本意を表に出したのは2001年。事件から実に31年後のことである。

「……国会喚問の要求を初めてされた。『信教の自由』を侵害する凶暴な嵐であった。理不尽な罵倒の連続であった。……(学会員は)血の涙を拭いながら、断固として仏敵と戦う決意を、炎と燃やした」(聖教新聞・01年7月10日付「随筆 新・人間革命」)

「信仰心は純粋なものだ。純粋であればあるほど、侮辱のつくり話などに反発し、怒るのは当然だろう」(産経新聞・9月17~20日付の池田インタビュー)

あの事件で学会員は「仏敵」による攻撃の被害者だったのだ――。事実の完全な逆転である。31年も経過すれば、事件にたずさわった当事者たちは、ほぼ第一線から退き、活動家は世代替わりをしている。その時期を待って過去の事実を書き替える。創価学会史によくある「歴史改竄」の構図である。

学会員にとって「精神の正史」である小説『新・人間革命』でも、「言論問題」(学会用語)は同様に位置づけられた。ちなみに、創価学会支援者として知られる元外務省職員で作家の佐藤優氏によれば、池田氏の「お詫び講演」は「二度目に勝利する」ための「戦術的退却」なのだという(『第三文明』16年5月号ほか)。

 

学会流“スリカエの論理”

こうしてつくられた「正史」は、佐藤氏が「『言論問題』に真正面から向き合った」と評価する『公明党50年の歩み』(以下『50年』)など関連諸組織の公式記録に転用され、さらに学会系書籍やネットのブログといった媒体へと拡がっていく。そこにはいくつかの共通項がある。第1に対象が『創価学会を斬る』に限定されていること。「正史」はこれを基点に増幅されていくのだが、「妨害」されたのは『創価学会を斬る』だけではない。出発点から違っているのだ。

第2は『創価学会を斬る』が刊行された69年12月に衆院総選挙があったことを理由に、出版には「選挙妨害意図」があり、事件は「藤原弘達自身の売名行為のために仕掛けたワナであり、世間がその扇動に乗せられた」(『50年』)という論法。「(同書は)事実に基づかないヘイトスピーチ的な誹謗中傷に満ちたひどいもの」というブログなどもある。

「ヘイト」とする根拠は何か自体がよく分からない。藤原氏が同書を出した60年代後半、公明党は日米安保条約段階的解消を唱えていた。70年代に入ると安保条約即時破棄となり、「自衛隊は違憲の疑い」と唱え「中道革新連合政権構想」を発表する。そんなとき藤原氏は公明党の野党連合入りはあり得ず、自民党との連立の可能性はあると指摘し、事実その通りに推移しているのだ。深い調査と分析があったからこその指摘である。百歩譲って同書が選挙の邪魔になるとしても、そのことで著者、出版社、取次店から各地の書店にまでの「要請」を合理化することはできない。

第3は、一連の妨害行動を「『正しく理解してほしい』という極めて単純な動機から発したものであり、個人の熱情からの交渉」(「お詫び」講演)としていることだ。典型的な学会流スリカエの論理である。政権党の幹事長への仲介依頼などが「個人的」である訳がないのだ。各地の末端幹部がいっせいに書店工作をすれば、それは「組織的」としかいえないではないか。

池田氏が3代会長に就いてから3年目の63年、創価学会は「言論部」をつくった。学会批判のマスコミや識者に抗議の手紙や電話を集中するという部署である。池田氏はその会合で「本当に正しい言論戦はこわい、どうしようもないというところまで追って追って追いまくって」と檄をとばしている(溝口敦氏が本誌23年12月号で詳述)。言論出版妨害事件はその到達点だったのである。

池田氏の死去をスクープしたのは読売新聞だった。11月18日午後、学会と池田家の発表直前にネット版に1行情報を特報した。翌19日付紙面でも「読売」は1面トップ扱い。他の主要各紙もトップではないけれども1面で、申し合わせたように3段見出し、顔写真付きで「池田死去」を伝えた。創価学会には首相官邸とも直談判ができるほどの力がある。政策・政局から選挙にまで関与・介入するほどの存在である。大口の広告スポンサーでもある。各紙とも池田氏を傷つけることを極力避け、学会の公式年表に添った形でその経歴を伝えた。唯一の例外が「言論出版妨害事件」。これだけは避けて通ることができないのだ。

その中で、「朝日」と『毎日』だけは、これを「圧力をかけたとされる」「妨害したとされる」と非断定的に書いている。これが前述の「31年後に書かれた正史」に配慮したものだとすれば、「歴史の改竄」への加担として後世に汚点を残すことになるだろう。

 

柿田睦夫(かきた・むつお)フリージャーナリスト。1944年生まれ。業界紙記者などを経て1979年から「しんぶん赤旗」社会部記者。退職後「現代こころ模様」シリーズなどで「宗教と社会」の関わりを取材。葬儀や戦後遺族行政に関わるレポートも多い。『霊・超能力と自己啓発─手さぐりする青年たち』(新日本新書、共著)『統一協会─集団結婚の裏側』(かもがわ出版)『現代葬儀考─お葬式とお墓はだれのため?』(新日本出版社)『宗教のないお葬式』(文理閣、共著)『これからの「お墓」選び』(新日本出版社)『自己啓発セミナー─「こころの商品化」の最前線』(新日本新書)『現代こころ模様─エホバの証人、ヤマギシ会に見る』(新日本新書)、新刊に『創価学会の“変貌”』(新日本出版社)など著書多数。

 

信濃町探偵団──創価学会最新動向

  • 池田大作お別れの会

―池田死去を組織引き締めに利用する創価学会

・1月30日付『聖教新聞』「池田大作 お別れの会 追悼特別号」「不撓不屈の95年の旅路」「ごあいさつ 創価学会 会長 原田稔」

「本日はご多用中にもかかわらず、『池田大作 お別れの会』にご来場くださり、誠にありがとうございました。池田第3代会長が皆さまから賜りましたご厚誼、ご高配に心から感謝申し上げます。(中略)今、国内外の情勢は厳しく、一刻の停滞も許されません。私どももまた『池田門下』の弟子として、第3代会長の遺訓と行動を範とし、平和社会の建設と民衆の幸福のため、世界の安穏と共生のため、文明間の対話のため、粉骨砕身してまいる所存です。今後もご指導ご鞭撻のほど、お願いいたします」

・1月31日付『聖教新聞』「池田大作先生 お別れの会」「『不撓不屈の95年の旅路』偲ぶ」「46カ国地域の外交団、各界の代表が列席」

「創価学会の主催による第3代会長・池田大作先生の『お別れの会』が30日午前10時から、東京・千代田区のホテルニューオータニで行われた」

1月30日「NHK NEWSWEB」「創価学会 池田大作名誉会長『お別れの会』約2600人が参列」

「去年11月に亡くなった創価学会の名誉会長、池田大作氏をしのぶ会が30日、都内のホテルで開かれました。

東京 千代田区のホテルで開かれた『お別れの会』には、創価学会の発表で、アメリカや中国など各国の大使館関係者や経済界、学術界などから合わせておよそ2600人が参列しました。(中略)会場にはカーネーションや菊の花をあしらった幅36メートル、高さ4メートルほどの祭壇が設けられ、参列した人たちは献花をして手を合わせ、池田氏をしのんでいました」

・1月31日付『読売新聞』「カリスマ不在、公明党が正念場…次の衆院議員選挙に向け支持層の奮起促す」

「公明党が創価学会の池田大作名誉会長というカリスマ不在の中、次期衆院選で正念場を迎える。党内では党勢衰退につながるとの見方もくすぶっており、危機感を持って支持層の奮起を促す構えだ。

公明の山口代表は、党を創設した池田氏のお別れの会が執り行われた30日、『「大衆とともに」という立党精神を五体に刻んできた。基盤と基本的な方向は確立されている。維持強化できるよう先頭に立って頑張っていきたい』と記者団に語った。

11月で立党60年となる公明は衆院32議席、参院27議席を持つ。池田氏が1967年の衆院選進出を主導し、学会員を実動部隊としながら勢力を拡大した成果といえる。ただ、学会員の高齢化などに伴う運動量低下が課題となっており、学会幹部は『池田氏のためにとの思いで活動した学会員は多い。運動量はさらに落ちかねない』と懸念する。

もっとも、『政治とカネ』の問題で与党に逆風が吹く中で迎えた21日の東京都八王子市の市長選では、公明支持層をフル稼働させ、与党推薦候補の勝利にこぎ着けた。公明中堅は『組織力が健在だと示し、衆院選に弾みをつける上で落とせない戦いだった』と振り返る。

次期衆院選では、池田氏が『常勝関西』と呼ばれる礎を築いた大阪で日本維新の会と全面対決する。公明内では『結果次第で小選挙区からの撤退論も出かねない。一丸で勝ち抜くしかない』との声が漏れる。

公明の政策面では、池田氏が重視した『平和』『大衆』といった原点への回帰とも受け止められる動きが見られる。防衛装備品の輸出緩和を巡る与党協議で、自民党が求める国際共同開発による装備品の輸出に慎重な立場を鮮明にし、政治改革の議論では積極姿勢を打ち出している。

学会では、5期目の原田稔会長(82)の後継も注目される。池田氏の長男・池田博正氏も要職の主任副会長を務めるが、関係者によると、池田氏は世襲を否定していたとされ、他の有力幹部から絞り込まれる見通しだ」

 

※昨年11月15日に死去した池田大作創価学会名誉会長の葬儀関連セレモニーは、「家族葬」(11月17日)、学会員向けの「創価学会葬」(11月23日)と続き、外部向けの「お別れの会」(1月30日)でひと段落した。

このうち東京のホテルニューオータニで行われた「お別れの会」には、創価学会発表によれば「46カ国地域の外交団、各界の代表」約2600人が列席したようで、「カーネーションや菊の花をあしらった幅36メートル、高さ4メートルほどの祭壇」(NHK NEWSWEB)に飾られた池田氏の遺影に向けて白いカーネーションを献花したようだ。

「お別れの会」参列者には、『不撓不屈の95年の旅路』との大見出しのついた『聖教新聞』の「追悼特別号」が配布された。池田氏の事績を麗々しく礼賛・アピールする「追悼特別号」だが、その一面には池田氏の遺訓と行動を範として「平和社会の建設と民衆の幸福」「世界の安穏と共生」「文明観の対話」などのために「粉骨砕身」するとの原田稔会長の「ごあいさつ」が掲載されていた。

1月31日付『読売新聞』は「カリスマ不在、公明党が正念場…次の衆院議員選挙に向け支持層の奮起促す」なる記事を掲載し、創価学会幹部の「『池田氏のためにとの思いで活動した学会員は多い。運動量はさらに落ちかねない』と懸念する」声などを紹介しつつ、「公明党が創価学会の池田大作名誉会長というカリスマ不在の中、次期衆院選で正念場を迎える。党内では党勢衰退につながるとの見方もくすぶっており、危機感を持って支持層の奮起を促す構えだ」と報じている。

同記事では1月21日投開票で実施の八王子市長選挙で、逆風の中、自公推薦候補が当選した背景には、創価学会組織のフル稼働があり、公明党中堅なる人物の「組織力が健在だと示し、衆院選に弾みをつける上で落とせない戦いだった」との声を紹介している。

たしかに創価大学や東京富士美術館そして牧口記念会館のある八王子は、東京・新宿区信濃町とならぶ創価学会の一大拠点。それだけに八王子市長の座を野党に渡すことはできないと、旧統一教会との蜜月関係が露呈した萩生田光一自民党代議士の推す自民党候補との相乗りであっても、創価学会は全力投球。当初から創価・公明だけでも当選を目指すと意気込み、中盤からは近隣の青梅・日野・立川の組織に応援の指令が飛んだ。その結果、自公候補は当選。公明党中堅の言う「組織力健在」を示し、自民党に恩を売る結果となった。もっともそれは八王子という牙城だからできた話である。

創価学会は池田死去を危機バネに組織の引き締めを図る腹積もりだが、『週刊文春』1月4・11日号が、「池田大作ファミリーの“断絶”創価学会葬に不参加 夫人&三男vs手を握る長男&原田会長」と報じたように、肝心要の池田家内部で対立と相克が指摘されており、長男と三男の不仲はかなり以前からそれなりの幹部や本部職員の知るところだったという。

実際、池田氏の誕生日と重なる日となった1月2日の四十九日法要にも夫人と三男は不参加だったようで、「お別れの会」にも姿を見せていないらしい。

原田会長は「粉骨砕身」などと力むが、どうやら創価学会の前途は想像以上に厳しいものとなりそうだ。

 

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