8月号目次
閻魔帳
死刑執行と池田大作サリン殺害未遂事件/乙骨正生
特集/オウム事件死刑執行にみる日本の宗教と社会
オウム死刑囚の執行はこうして極秘に準備された/有田芳生
宗教を悪用したオウムと創価学会の類似点/溝口 敦
オウム真理教事件の本質にある「カルト」をブッた斬る/古川利明
「オウムをヨイショした文化人」の教訓が活かされていない/藤倉善郎
サリン事件と宗教学者の変節/広岡裕児
なぜ「幕引き」を急ぐのか=未解明のままのオウム事件/柿田睦夫
13人の死刑執行で「オウム真理教」事件は終わったのか/段 勲
トピックス
厚労大臣が統一教会大規模信者集会に祝電、秘書が代理出席/鈴木エイト
- 連載
信濃町探偵団──創価学会最新動向
新・現代の眼(第24回)
一隅を守りて万方を遺る/菅野 完
執筆者紹介 編集後記
編集後記から
7月の猛暑・豪雨を、気象庁が「30年に一度以下の頻度で起こる異常気象」だったと発表しました。200人を超える犠牲者を出した西日本豪雨に、いまもなお熱中症による死亡者を出している猛暑。地球的規模での異常気象が報告されて久しいですが、地震災害・火山災害の頻発する災害列島・日本に住む国民にとって、異常気象が招く各種の災害も大きな苦しみにほかなりません。
それにしても呆れるのは豪雨災害に対する政府・与党の対応です。異常な豪雨が予想され、京都府などに11万人もの住民を対象とした避難指示が出ているさなかに「赤坂自民亭」と称する宴会を開いていた政府・与党の首脳。気象庁から特別警報が出され、被害が続出しているにもかかわらず、バクチの解禁をめざすカジノ法案審議に出席し続けた国土交通大臣。一連の事実からは、安倍自公政権の国民無視・国民不在の奢り高ぶった姿勢が垣間見えます。
災害発生から1週間も過ぎた7月14日におっとり刀で広島の被災地を視察に訪れた国交大臣に、被災者から「スコップの一本でも良いから持ってきてやってみ!」「どんだけ しんどい くさい ひどいか」との非難の声が飛んだのも当然といえましょう。国土交通大臣がどの党の所属かはいわずもがなですが。
そんな異常気象に見舞われた7月の日本で、13人もの死刑囚の死刑が執行されました。地下鉄サリン事件などオウム真理教が引き起こした一連の事件で死刑が確定していた麻原彰晃(本名・松本智津夫)ら幹部13人の死刑が、7月6日と26日に分けて執行されたのです。
執行を命じたのは上川陽子法務大臣ですが、上川大臣は、執行前夜の5日夜、先述の「赤坂自民亭」で女将役を務め、安倍晋三首相らと杯をあげるとともに、なんと閉めの「バンザイ」の音頭をとっていたと報じられています。歴代の法務大臣の中には、自らの政治信条や宗教的信念から、死刑の執行を拒否した人物もいましたが、翌朝、自らがサインした死刑執行命令が実施されることを知りながら、酒宴の女将役をつとめ、あまつさえ「バンザイ」の音頭をとるなど、常人の感覚では考えられないことですが、これも上川大臣個人の資質というよりは、安倍自公政権の体質の発露と見ることができるのではないでしょうか。
小誌今号では、そのオウム死刑囚の死刑執行と日本における宗教と社会を特集しました。ご一読ください。
特集/オウム事件死刑執行にみる日本の宗教と社会
オウム死刑囚の執行はこうして極秘に準備された
有田芳生
参議院議員
ジャーナリスト
「これは死にかけている男ではない。われわれとまったく同じように生きているのだ。彼の体の器官はみんな働いている――腸は食物を消化し、皮膚は再生をつづけ、爪は伸び、組織も形成をつづけている。それがすべて完全に無駄になるのだ」(ジョージ・オーウェル「絞首刑」、1931年)
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満員電車で永田町に向かっているときだった。スマートフォンに速報が届いた。何気なく見ると、そこにはオウム真理教の教祖だった麻原彰晃(本名は松本智津夫)の死刑を執行する手続きに入ったとある。さして驚きはしなかったが「おかしいな」とは思った。やがて速報が続き、麻原だけでなく、弟子の井上嘉浩、早川紀代秀、中川智正なども執行されるとあった。さらに土谷正実、遠藤誠一、新実智光の名前が続いた。前日に法務委員会が終わったとき、挨拶をしたカトリックの信仰を持つという上川陽子法務大臣の顔が浮かんだ。7月6日朝のことである。その前夜に行われたのが赤坂議員宿舎で安倍総理も参加した「赤坂自民亭」となづけられた宴席だった。「女将」をつとめた上川大臣は、記念撮影で総理の横に座り、親指をあげた「サムズアップ」の姿が記録されている。「GOOD」(よし)というサインだ。おりしも西日本を豪雨が襲い、各地で避難指示が出されていた一夜でもあった。それから3週間ほどが経過した7月26日、林泰男など残る6人の刑の執行が行われた。こんども執行がリークされ、テレビでは同時進行で報じられた。わずか1か月の間で13人の死刑執行。上川陽子法務大臣のことを「死神」だと密かに語った法務省関係者がいた。むべなるかなである。
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第一陣で執行された中川智正死刑囚は教誨室に供えてあった果物やお菓子を口にせず、コップでお茶2杯を飲んだという。いつものように起床し、食事をしたあとで執行が伝えられると、死刑囚は、教誨室へと連れていかれ、執行が行われる部屋の横にある控え室へと向かう。死刑囚を襲う不意打ちの朝である。3月に東京拘置所から広島刑務所に移送された中川死刑囚は、人生最後になぜお茶2杯だったのだろうか。ずっと気になっていた。ほかの死刑囚はどうだったのか。何人かの辞世の言葉は報じられたが、何を口にしたかがわかったのは、中川だけだった。どうしてそんなことが気になるかといえば、地下鉄サリン事件が23年前に起きてから、中川や井上、そして麻原たちの生い立ちを取材していたからである。法廷でその姿を眼にし、証言を聞いてきたものの、わたしの中では彼らのオウム入信前の「素顔」があった。中川でいえば、京都府立医大で学園祭の実行委員長をつとめ、車椅子を押した心優しい姿であった。オウム真理教に入信した彼が、坂本弁護士一家殺害事件の実行犯のひとりであった事実との落差をどう埋めれば理解できるのか。そうした疑問は四半世紀近く解けるものではなかった。
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ここ数年、おりにふれ法務省幹部にオウム死刑囚の執行について話を聞いてきた。メモを見ると最初は2015年7月だ。そのとき念頭にあったのは、もちろん教祖のことだった。執行には大きく2つの条件があるという。ひとつは「強い法務大臣」であることだ。破壊的カルトであるオウム真理教の教祖の死刑を執行すれば、報復テロの対象となる可能性がある。したがって法務大臣を退任しても、一生警護がつくことになる。それに耐えることができる精神力が必要とされた。具体的には後藤田正晴氏のような存在である。ふたつめの条件は「後世の検証に耐えられる精神鑑定」だ。周知のように麻原彰晃は一審裁判の途中から自分の殻に閉じこもり、弁護団や家族ともコミュニケーションを閉ざしてしまった。それが拘禁性によるものなのか、それとも詐病なのか、議論はあれど、実態は不明のまま裁判は終了してしまった。教祖の執行については、各界識者の意見聴取も行うと聞いていた。
そんなことすべてが木っ端微塵にされた異様かつ異常な死刑執行だと確信する根拠がある。上川法相が刑の執行を検討しはじめたのは、5月の大型連休があけてからだ。そのとき執行起案書が麻原こと松本智津夫だけだったのか、それとも13人同時執行だったのかはわからない。わたしの得た情報では、5月末の段階でも上川法相は麻原の執行さえ決断ができていなかった。この時期は通常国会のさなかだから、本会議や法務委員会への出席などの政務、党務と忙しかった。そのとき、結果的に13人もの執行を十分に検討するゆとりなどあろうはずがない。法務大臣は死刑執行を決めるとき、執行起案書を読むだけでなく、裁判資料(公開と非公開)を検討する。ある法務大臣など、ひとりの刑の執行を決断するため、部屋いっぱいの資料を朝から読み続けたという。国家の権力でひとりの人間の生命を奪うのだから、まともな法務大臣なら、そうした手続きを踏むのが当たり前なのである。たとえていえば、オウム死刑囚13人の裁判資料は、13の部屋いっぱいになるほどだったはずだ。上川大臣がそれを徹底して読破し、検討し、執行を決断できたとは、常識的に判断して、とうていありえないことなのだ。
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そこまで突き詰めた検討を行っていない上川法相は、ならば執行起案書を読んだだけで執行を決意したのだろうか。起案書にはいくつかのパターンがあるという。短いもの、中間のもの、長いものである。大臣によってどれを選択するかは、それぞれの人権感覚とも関わっている。別の事件だが、なかには中間の長さの文書を読んで、執行しないと決めた大臣もいる。上川法相が、どのレベルで死刑執行を判断したかは、永遠に伏せられるであろう。いずれにせよ時間の経過から判断して、執行後の記者会見で語ったように「鏡を磨いて磨いて磨ききるという心構えで、慎重な上にも慎重な検討を重ねた上で執行を命令」という状況ではないだろう。主観的にはそうだったのかもしれないが、歴史的に公正な判断だったとはとても思えない。
2回目の執行が行われた翌朝の朝日新聞に興味深い記事が出ている。上川法務大臣が法務官僚の説得を受けていたというのだ。〈上川氏は14年10月~15年10月にも法相を務めたが、この間に執行した死刑囚は1人で、「慎重派」と評されていた。今年1月に教団関連の裁判がすべて終了し、執行に向けた手続きを進めようとした法務官僚は説得を重ねてきた。上川氏が涙ぐんだり、周囲に体調不良を訴えたりすることもあり、法務省幹部は「気持ちが揺れ動いていたようだ」と推察する〉。死刑執行に慎重だった上川法務大臣は結果的に説得に折れたのである。ここで疑問がある。オウム死刑囚の執行は法務官僚の意思だったのだろうか。これまたそうではないという状況証拠がある。
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いま世界では死刑制度を廃止する国が142カ国を数える。OECD(経済協力開発機構)35カ国のなかで存置しているのは日本、アメリカ、韓国だけだ。しかし韓国では1997年を最後に執行はされず、アメリカでも半分の州で死刑は廃止したり停止している。先進国で死刑制度があるのは実質的に日本だけなのである。ある法務官僚に「13人の同時執行はありますか」と聞いたのは、今年2018年6月はじめのことだ。戻ってきた言葉は「そんなことをしたらジェノサイドですよ」。そのときの感触では執行があるとすれば教祖だった松本智津夫だけが対象だった。別の法務官僚に「国会が終わった7月に執行するという情報が流れていますが事実ですか」と聞いたのも6月なかばだった。「あくまでも個人的な見解ですが」と断ったうえで「ありえないですよ」という回答が戻ってきた。それから半月ほどの間に何があったのだろうか。強く推定できることは官邸の指示である。
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安倍政権の政治手法は「やってる感」だ。これは安倍首相本人が政治学者の御厨貴さんに語った言葉である(『政治が危ない』)。「やった」ではなく「やってる感じ」。このイメージ政治は、かつてイタリアのムッソリーニが多用した手法でもあった。アベノミクスも拉致問題もイメージ先行の「やってる感」政治であるが、ここでは本題でないので、これにとどめる。しかしオウム死刑囚の執行は権力の掌にあるから、法務官僚に政権としての意思を示せば、法務大臣を説得にかかる。おりしも森友・加計問題などで支持率は低落傾向にあった。北朝鮮問題でも南北、米朝首脳会談という激変を背景に、拉致問題解決のための日朝首脳会談をほのめかすことで、支持率は上昇した。ここでオウム死刑囚の執行をすれば自民党総裁線前に国民に「強い安倍」を印象付けることができる。そんな世俗的な読みがあったのだ、と私は推測している。「平成の時代に平成の事件にけじめをつける」などとする論評はたんなる後づけの理屈だ。なぜなら昭和時代に起きた事件の死刑囚はいくらでもいるからだ。
こうしてオウム事件は政権に利用され、メディアによって消費されていった。2度目の執行翌日のテレビ番組は、ニュースもワイドショーもほぼこの問題を取り扱わなかった。新聞も翌朝こそ一面や社会面で大きく記事にしたが、それで終わりである。刑事司法としてのオウム事件は終わった。しかし肝心な問題は放置されたままだ。どこにでもいる普通の若者たちは、なぜオウム真理教に惹かれ、どうして凶悪犯罪に走ってしまったのか。深刻な問題は放置されたままなのである。
有田芳生(ありた・よしふ)参議院議員、ジャーナリスト。1952年生まれ。出版社勤務を経て、86年からフリーとなり『朝日ジャーナル』で霊感商法批判キャンペーンに参加。同誌休刊後は『週刊文春』などで統一教会報道。都はるみ、テレサ・テンなどの人物ノンフィクションを『AERA』『週刊朝日』『サンデー毎日』に執筆。2007年まで日本テレビ系の「ザ・ワイド」に出演。『現代公明党論』『(白石書店)『「幸福の科学」を科学する』(天山出版)『歌屋 都はるみ』(講談社、文春文庫)『有田芳生の対決!オウム真理教』(朝日新聞社)『「コメント力」を鍛える』(NHK新書)『ヘイトスピーチとたたかう!──日本版排外主義批判』(岩波書店)『私の家は山の向こう』(文藝春秋)など著書多数。
信濃町探偵団──創価学会最新動向
- オウム死刑囚の死刑執行に無関心な創価学会
・7月7日付『聖教新聞』「松本死刑囚に刑執行」「元幹部6人もオウム真理教事件で初」
「オウム真理教による一連の事件で死刑が確定した元代表松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚(63)と元幹部死刑囚6人の刑が6日執行された。法務省が同日明らかにした。事件では13人の死刑が確定していたが、執行は初めて。
空前の無差別テロで社会を震撼させた地下鉄サリン事件から23年。死者29人、負傷者6000人超を出した一連の事件は、大きな区切りを迎えた」
・7月27日付『聖教新聞』「オウム死刑執行終える」「元幹部6人地下鉄サリンなど関与」
「法務省は26日、オウム真理教による一連の事件で死刑が確定した元幹部6人を一斉に執行した。同省は元代表の松本智津夫元死刑囚(63)ら7人の刑を執行済みで、一連の事件で死刑判決を受けた元幹部13人全員の刑が執行された。
地下鉄サリン事件から23年。29人が死亡、6000人超が負傷した犯罪史に残る教団事件に大きな区切りが付いた」
※オウム真理教による地下鉄サリン事件をはじめとする一連の事件で、死刑が確定していた麻原彰晃(本名・松本智津夫)死刑囚ら13人の死刑が、7月6・26の両日執行された。刑事手続的には今回の死刑執行で事件は終結となるが、宗教に名を借りた異常な凶悪犯罪に、なぜ多くの若者が手を染めてしまったのか。事件のカルト的要因ことにマインド・コントロールの問題は未解明のままだ。
そのため日本脱カルト協会は、麻原ら7人が死刑を執行された7月6日と、残る6人が死刑執行された26日、法務省に対して麻原を除く12人の死刑に遺憾と抗議の意思を示す声明を発表。その中で次のように訴えている。
「貴大臣による死刑執行命令は、一般の人間がマインドコントロールを受けてテロリストになり、また、マインドコントロールが解けていく過程について調査・研究する機会を失わせ、テロリズムに対する予防、捜査、テロリストに対する処遇について大いなる知見が得られる筈の機会を永遠に奪ったものであることを御自覚頂きたい」
ところで本誌今号の「閻魔帳」でも指摘しているように、創価学会の池田大作名誉会長は、宗教的信念に基づいて強く「死刑廃止」を主張している。だがその池田氏は、EU諸国からも厳しく批判された今回の13人の死刑執行になんの意思表示も行っていない。
創価学会もまた、例えば真宗大谷派が、麻原らの死刑執行を受けて7月9日に、「死刑の執行停止と廃止」を求める声明を出し、その中で、「オウム真理教が起こした事件に触れ『教祖に無批判に追従した青年たちを思うとき、人々の悩みや苦しみにいかに応えていなかったか知らされ、仏教者としての責任を痛感する』」「『死刑の執行は、罪を犯した人が罪に向き合い償う機会そのものを奪う』」(『京都新聞』7月10日付)と自責の念すら表明しているにもかかわらず、なんの見解も示そうとはせず、機関紙『聖教新聞』に通信社記事をベースにした事実報道を載せただけですましている。
一般にはあまり知られていないが、オウムの一連の事件の中には、池田氏を殺害対象とした池田大作サリン殺害未遂事件なるものもあり、麻原の死刑判決の判決文にはその詳細が事実認定されている(「閻魔帳」参照)。この事件では、東京都八王子市の創価大学に隣接する創価学会施設・東京牧口記念会館の警備にあたっていた牙城会(施設警備担当)のメンバーがサリンの被害を受け、視力障害などに陥っている。
その意味では、創価学会はオウム事件の被害当事者でもある。「永遠の師匠」である池田氏が「死刑廃止」を声高に叫んでいた事実も踏まえるならば、創価学会は今回の死刑執行になんらかの声明なり見解を出すべきではないのか。
ちなみに7月7日付『聖教新聞』の目玉記事は、「池田先生とカナダ」であり、池田氏のメッセージとされる1面コラム「わが友に贈る」は、「『言(ことば)と云うは心の思いを響かして声を顕す』 さあ『励まし週間』だ。真心の声掛けで安心と希望を届けよう!」というものだった。「言と云うは心の思いを響か」すものだというなら、ここで「死刑廃止」を叫ぶべきだったのでは。
こんな虚ろな言動を繰り返す創価学会にマインド・コントロールされる青年が多数いる現実。そしてオウムの先蹤として政治進出した創価学会が政権に入っていることは、等閑視できない重大な問題だといえよう。