6月号目次
閻魔帳
虚偽がまかりとおる国会と国民の力/浦野広明
特集/不在8年──創価学会の変貌
“池田ぬき”から“池田はずし”へ=創価学会8年の軌跡/柿田睦夫
「池田大作不在の8年」でさらに進んだこの国の民主主義の破壊/古川利明
「かくも長き不在」──池田大作支配の終焉/乙骨正生
新潟・柏崎に見る創価学会巨大墓苑の風景/段 勲
トピックス
メディアを席巻する右傾化女子タレント/鈴木エイト
トピックス
オウム批判者を中傷する大田俊寛氏の暴走/藤倉善郎
- 連載
信濃町探偵団──創価学会最新動向
新・現代の眼(第22回)
涓涓ふさがざれば終に江河となる
/菅野 完
ヨーロッパ・カルト事情(243)
日仏の「道徳教育」(1)/広岡裕児
執筆者紹介 編集後記
編集後記から
「魚は頭から腐る」というロシアの俚諺(りげん)があります。いかなる組織も、トップから腐り始めるということを、イワシやサバが頭から腐ることに例えたものですが、今日の日本の国家・社会の様相は、まさにこの諺どおりであることに、暗澹たる気持ちにさせられます。
それにしてもモリカケ問題をめぐる安倍首相をはじめとする政府・当事者の言動は、無慙極まりないものといわざるを得ません。そしてそのモリカケ問題から国民大衆の眼をそらさせるかのように、テレビメディアがニュース番組やワイドショーでさかんに取り上げる日大問題もまた、「魚は頭から腐る」の典型的事例なのですから、いやになります。
日本社会のそこかしこに存在する「魚は頭から腐る」の事例ですが、小誌が創刊以来、ウォッチの対象としてきている創価学会もまた、「魚は頭から腐る」の典型的組織といえましょう。
その創価学会に長年にわたって君臨してきた池田大作名誉会長が、会員の前から姿を消してから今年の5月で8年の歳月が流れました。8年という歳月がいかに長いかは、池田氏が「恩師」と仰ぐ戸田城聖会長の会長在任期間が6年と11カ月であることを見ても、分かるとおりです。池田氏は「恩師」の会長在任期間よりも長い時間、会員の前に姿を見せるどころか、肉声ひとつ発していないのです。小誌今号では、その池田氏の「かくも長き不在」に焦点をあて、創価学会がいかに変容したかを特集しました。
ところで、小誌の発行日である6月10日には、東京電力柏崎刈羽原子力発電所の再稼働を最大の争点とする新潟県知事選挙が投開票日を迎えます。当初、公明党は自主投票としていましたが、公示目前に再稼働反対を唱える野党統一候補の当選を阻止すべく、自民党とともに隠れ再稼働派と目される候補の支持を決めました。
もちろん創価学会は組織あげてこの候補を支援。東京の組織でも「新潟知事選 Q&A」や「対話のポイント」なる内部文書が配布されています。組織の延命・維持のために地方自治の冒瀆にも手を染める。これも「魚は頭から腐る」事例にほかなりません。
特集/不在8年──創価学会の変貌
“池田ぬき”から“池田はずし”へ=創価学会8年の軌跡
柿田睦夫
ジャーナリスト
「今だからこそ」に秘めたもの
池田大作氏が公式の場に姿を見せなくなってから今年5月でまる8年となった(注・ここでいう「公式」とは創価学会内部における場所のこと。池田氏は内輪では雄弁だけれど、学会外の場所で一般社会人に向かって話すことはない)。
池田氏が姿を見せなくなった最初の「公式」の場は2010年6月3日の創価学会第41回本部幹部会。原田稔会長は幹部会の席上で、「本日の幹部会については、弟子の君たちが、団結して、しっかりやりなさい」という池田氏の“指導”を伝えた。原田氏はその“指導”を「昨日」受けたと説明した。注目すべきなのは、このときの原田氏の次の発言である(聖教新聞10年6月4日付)。
「今こそ全同志が、これまで以上に実践しゆく時代になりました。先生がお元気な今だからこそ、将来に備えて、揺るぎない体制を築いていく時代であります」
池田不在への危機感と同時に、胸に秘めた決意が滲み出ている。「先生がお元気な今だからこそ」、つまり先生が“生きている”いまのうちに、「将来に備えて」、つまり“Xデー”以降の「揺るぎない体制」をつくるのだ――。ポスト池田体制への始動宣言と読み解くことができる。
それは2014年から17年にかけた4年連続の会則規定の変更、正木正明理事長の解任と正木氏につながる幹部の排除などとして具体化される。執行部の路線を批判する者を「破和合僧」と決めつけて組織がためを図ることにも着手した(18年4月13日の全国総県長会議)。そしてそれは、池田先生の指導といいながら、実際は“池田抜き”に始まり、“池田離れ”から“池田はずし”へと進む過程だったといえる。
池田不在になってから4年目の14年11月、原田執行部はいきなり、教義・本尊規定の変更に手をつけた。会則2条(教義)から大石寺の「大御本尊」を削除し、それを「受持の対象としない」と切り捨てた。
15年11月、会則前文を全面改定し、池田氏を事実上、「日蓮世界宗創価学会」の開祖的存在に祀りあげた。前文最終部分を「(池田氏は)代々の会長を中心とする世界の弟子に託された」と、過去形の形で締めくくった。
翌16年11月には会則3条(三代会長)に第2項を加え、「『三代会長』の敬称は、『先生』とする」と定めたが、牧口・戸田はすでに故人である。だとすれば第2項のポイントは池田氏から現職の肩書き(創価学会名誉会長・SGI会長)を外すことになる。ここでも過去形の扱いだ。そしてこれと同時に「創価学会仏」なる概念を前文に書き加える。
この間、15年11月には“クーデター”とも呼ばれる人事を敢行。教団ナンバー2の正木正明理事長を解任し、次期会長レースのライバルだった谷川佳樹本部事務総長が新設の主任副会長に昇格した。谷川氏は選挙と政権との連携を重視する路線の牽引者だとされる。同時に行った会則変更で、翌年に任期切れとなるはずだった原田会長の任期が19年11月まで延びることになった。
17年に行ったのは「創価学会会憲」の制定だ。「会の憲法ともいうべき」(原田氏)、この会憲は前文と15条とで構成されているが、これがかなり奇妙なのだ。前文は会則前文と一字一句違わず、「この会は、『創価学会』と呼ぶ」という第1条をはじめ7条文は会則と同じ。残る8条文は会長とSGI(創価学会インタナショナル)に関するもので、理事長以下の役職や諸機構については“会則に続く”という形。要するに現行の会則から会長とSGIの規定だけを抽出したのが会憲である。
会憲は第一に、会則にある会長権限を整理・集約して、さらにそれを強化した。組織から教義に至る全権が創価学会会長に集中する仕組みを作った。池田氏はこれまで、そんな条文の有無にかかわらず絶対的支配権を持っていたが、池田亡きあとではそれを会の規則として明文化する必要があったのだろう。
第2に世界各地のSGI組織を、会憲によって創価学会の「構成団体」であり、その指導下にあることを明文化した。各地のSGIはそれぞれに成立過程が異なり、その活動には独自性、地域性があった。池田氏の求心力と学会の財力によって繋がっていたといっても過言ではない。14年の教義・本尊規定変更のさい、これに強く反対したのが各国SGIだったとも伝えられている。
ありていにいえば、これまで池田氏の聖域だった各地のSGIを創価学会とその会長の傘下に置くというのが会憲制定の意味だといえる。その結果、池田SGI会長は原田創価学会会長の下位に位置づけられることになる。
会憲制定と同じ日にSGI常任理事会・同理事会を開いて会憲承認をとりつけ、発効前にSGI秋季研修会で来日中の70カ国・地域代表を集めて会憲賛同の「署名式」を開いたことにも、学会執行部の思惑があらわれている。
「政権連携」しかない選択肢
会憲制定にはもうひとつ注目すべきことがあった。16年11月の「創価学会仏」創設では、原田会長はこれが池田氏の指導によるものだとして、「今回、『創価学会仏』というご指導を会則に加えた次第です」(16年11月4日の全国総県長会議)と報告していた。それが会憲制定では、「このたび、池田先生にご報告申し上げ、ご了解をいただき」に変わった(17年9月1日の全国総県長会議)。
池田氏の「指導」から「報告」への変化。会の憲法である会憲は池田氏の指導抜きに執行部が決め、事後報告で済ませたということになる。“池田抜き”の顕在化である。
“池田抜き”が“池田離れ”から“池田はずし”と変化したことを決定的に印象づけたのが2月4日投票の沖縄県名護市長選挙である。自民・公明推薦で辺野古新基地建設容認の新人・渡具知武豊氏が、基地反対で3選をめざした現職の稲嶺進氏を破って当選した。
稲嶺市政転覆のために、安倍政権と自民党がいかにしてこの選挙に臨んだか、争点はずし、利益誘導、権謀術数の実態はすでに本誌で報告されているので省略するが、当初の世論調査では稲嶺優勢が圧倒的だった。「沖縄対応を一手に取り仕切る菅官房長官が候補者の差し替えを強く指示するほどだった」「自民党沖縄県連にとってはいかに負け幅を小さくするのかが課題」(『SPA!』2月7日号)だった。
形勢逆転への潮目になったのは、前回は自主投票だった公明党が渡具知氏推薦を決めたことだった(17年12月)。公明党沖縄県連の公式な立場は普天間基地の「県外・国外移転」であり、沖縄の創価学会も同じである。その公明党がなぜ渡具知氏推薦に回ったのか。主導したのは地元の創価学会・公明党ではない。東京の創価学会執行部である。
「水面下で、勝利を決定づけたのは、菅官房長官と(創価学会の)佐藤副会長の密接な連携プレーだった」(『FACTA』3月号)。
原田会長みずから沖縄入りして地元学会員と組織を説得し、佐藤浩副会長は地元に張りついて陣頭指揮をとった。全国から学会員や公明党議員を大量投入した。その結果、「公明党支持層」の投票は、自主投票だった前回の2倍になり、前回は二分された投票先が今回は9割が渡具知氏に流れた。2000~2500票とされる創価学会票が当落の分岐になった。
もう一つの決定的な要因は期日前投票である。投票日のNHK出口調査では稲嶺優勢だったにもかかわらず逆の結果になったのが、投票総数の6割にも達した期日前投票。投票日を待たずして当落はほぼ決まっていたのだ。この期日前投票を早くから有効に使っていたのが創価学会であり、そのノウハウが十二分に生かされたのだ。
池田大作氏にとって、沖縄はとりわけ思い入れの強い場所である。「核も、基地もない、平和で豊かな沖縄を」と繰り返し語ってきた。あの戦争で県民の4人に1人を犠牲にさせられ、戦後も米軍基地に土地を奪われてきた沖縄の創価学会員の思いも同じはずだ。
創価学会執行部は、池田氏と沖縄の学会員が共有してきたその立場を180度逆転させた。安倍政権との連携を優先させたのである。選挙で組織をつくり、政権と繋がって組織を護る。それはもともと池田氏が敷いた路線なのだが、正木派排除の“クーデター”人事などにより、創価学会執行部は当面、その路線にしがみつくことしか選択肢がない状況にあるのだろう。
会則を変え、会憲をつくり、「制度」としてのポスト池田体制は整えた。しかし会員の信仰心や忠誠心は外形的な制度で左右できるものではないはずだ。執行部の“池田はずし”路線はまだ先が見えてはいない。
柿田睦夫(かきた・むつお)フリージャーナリスト。1944年生まれ。業界紙記者などを経て1979年から「しんぶん赤旗」社会部記者。退職後「現代こころ模様」シリーズなどで「宗教と社会」の関わりを取材。葬儀や戦後遺族行政に関わるレポートも多い。『霊・超能力と自己啓発─手さぐりする青年たち』(新日本新書、共著)『統一協会─集団結婚の裏側』(かもがわ出版)『現代葬儀考─お葬式とお墓はだれのため?』(新日本出版社)『宗教のないお葬式』(文理閣、共著)『これからの「お墓」選び』(新日本出版社)『自己啓発セミナー─「こころの商品化」の最前線』(新日本新書)『現代こころ模様─エホバの証人、ヤマギシ会に見る』(新日本新書)など著書多数。
信濃町探偵団──創価学会最新動向
- 「ブレーキ」ではなく「アクセル・ハンドル」
・5月25日付『公明新聞』「公明はアクセルとハンドル」「連立政権での役割 中央幹事会で山口代表」
「公明党の山口那津男代表は24日、東京都新宿区の党本部で開かれた中央幹事会であいさつし、連立政権で公明党が果たす役割について、20日に秋田市で行われた党の会合で佐竹敬久秋田県知事が『自民党が頑丈な車体と強力なエンジンを持っているとすれば、公明党はアクセルとハンドル』と車に例えて語ったことを紹介した。
この中で山口代表は、『丈夫な車体やエンジンがあっても、それだけで車はうまく進まない。アクセルのコントロールとハンドルさばきが大事だと話されていた。また、公明党は常識があり、良識を持ち、見識が高いと評価されていた。この言葉を聞いて、あえて“ブレーキ”と言わなかったところが、みそだと思った』と述べた」
※公明党の山口代表が5月24日開催の公明党中央幹事会において、秋田県の佐竹知事が、公明党は政権の「アクセルとハンドル」だと語ったことを紹介し、佐竹知事の言葉を借りる形で、政権という車を公明党がコントロールしていると自画自賛した。
周知のようにこれまで公明党は、自らを政権の「ブレーキ役」と自称。自民党による悪政・暴政を制限するなどと主張していた。だが実際には、従来掲げていた平和や福祉の旗印に反する安倍政権の施策に次々と賛成。これではブレーキどころかまるでアクセルではないかと、創価学会の会員からも批判の声があがる始末。
そんな公明党について、元秋田藩の殿様の末裔である佐竹知事、昨年7月に秋田県を襲った記録的豪雨の緊急対策会議をゴルフ旅行でサボり、虚偽報告を行ったことで知られる同知事によるおべんちゃらを、山口代表は公明党の存在感を評価する声として紹介したのだ。これにより公明党が政権のブレーキ役ではなく、「アクセルとハンドル」役であることが明確となった。
モリカケ問題をはじめとする安倍首相・安倍政権の国民と国会を愚弄する傲岸不遜な政治姿勢を追及することもなく、お追従に終止する公明党。愛媛県が、平成27年2月に安倍首相が加計孝太郎理事長と面談し、獣医学部新設について説明を受けたとする文書を国会に提出した際には、山口代表は「当事者である首相も、加計氏も面談を否定している。一方、出された文書はまた聞きのまた聞きというような伝聞を重ねている要素もある」などと、安倍首相と加計理事長を擁護し、中村時広愛媛県知事の国会招致に反対するのも、政権の「アクセルとハンドル」役だからだろう。
過労死被害遺族が強く反対し、労働者保護に逆行するとして多くの識者が批判する働き方改革関連法案についても、公明党は厚労省による不正データ問題を厳しく追及することなく、衆院厚労委員会の強行採決に加担し賛成票を投じている。
- 新潟県知事選挙で豹変した創価・公明
・5月18日付『デジタル毎日』「新潟知事選 公明党は自主投票へ」
「公明党が、24日告示、6月10日投開票の新潟知事選に立候補する与党系の元副知事、花角英世氏(59)に推薦や支持を出さず、自主投票とする方針であることが18日判明した。公明関係者は『国政の代理戦争化を避けるため裏方に徹する』としているが、公明を軽んじた自民党県連へのけん制との見方もある。知事選は花角氏と、野党統一候補になる池田千賀子氏(57)との激戦が予想されるだけに、公明票の行方が勝敗を左右しそうだ」
「複数の与党関係者が明らかにした。野党各党は事実上の与野党一騎打ちとなるこの知事選を『安倍政権に対する審判という意味もある』(国民民主党の大塚耕平共同代表)として幹部を続々と新潟入りさせる方針。安倍政権はモリカケ問題で守勢に立たされているだけに、公明関係者は『知事選を県内の課題を論じ合う場とするためにも、政党が前面に出ない方が良い』と述べた。
ただし与党筋によると自民県連幹部が12日、公明の支持団体幹部と知事選対応について協議した際、自民県連側から『不和と捉えられても仕方のない』物言いがあったという。公明県幹部は自公連立の枠組みを崩す考えは全くないとしたうえで、『自民とは選挙戦への考え方が異なる』と述べた。
形式的であっても自主投票となった場合、花角氏陣営にとっては結果的に十分な支援が得られなくても公明側の責任を問えない。新潟ではここ数年、与野党伯仲の選挙が続いているだけに、8万~10万とされる公明票の行方が勝敗を左右する可能性があり、自民党本部筋は『現場間の早急な関係修復を願う』と述べた」
・5月24日付『デジタル毎日』「新潟県知事選 自公が花角氏支持へ 政権批判に危機感」
「24日告示の新潟県知事選(6月10日投開票)で、自民、公明両党は23日、与党系の前海上保安庁次長、花角(はなずみ)英世氏(60)を支持する方針を固めた。公明は当初自主投票とする方針だったが、加計学園問題の新たな文書が露見するなど、政権への批判が選挙に影響する可能性が出てきたため、自公が総力戦で臨まなければ野党5党1会派推薦の県議、池田千賀子氏(57)に劣勢を余儀なくされかねないと判断した。
複数の自公関係者が明らかにした。花角氏が無党派層への浸透を狙い『県民党』を掲げていることを尊重し、形式的には推薦より弱い支持とする。告示後の25日にも正式決定する。
東京電力柏崎刈羽原発の原発再稼働をめぐっては、池田氏も花角氏も米山隆一前知事の路線を踏襲している。ただ、池田氏は再稼働のハードルに『県民投票』などを主張し、花角氏は早くて2~3年後に再稼働の是非を判断した後に辞職して出直し知事選で信を問うとしている」
※安倍自公政権への審判とともに、来年の統一地方選・参院選に大きな影響を持つとみられる新潟県知事選で、創価・公明の豹変が話題となっている。
原発再稼働反対を掲げて当選した米山隆一知事の女性問題での突然の辞任を受けて実施される新潟県知事選挙は、原発再稼働反対の立場の野党系の池田千賀子候補と、原発再稼働を進める自民党と公明党が支持する花角英世候補の事実上の一騎打ち。本誌発行日の6月10日が投開票となる。
この選挙で公明党は当初、自主投票としていたが、公示直前になって突然、自民党とともに支持を決めた。公明党が自主投票としたのは、当初、池田候補が優勢と伝えられていたことと、自民党県連幹部と地元の創価学会幹部が知事選の対応について面談協議した際、自民党県連幹部が創価学会・公明党への嫌悪感を示したことから、創価・公明側が反発し、自主投票を打ち出したという。しかし、これに慌てた自民党本部や官邸筋から創価・公明への強力なアプローチがあり、政局への影響も考慮して支持決定に鞍替えったと伝えられる。おそらくは今年2月の沖縄県名護市長選挙と同様の動きがあったのだろう。
その結果、創価学会は全組織上げての支援体制をとっており、東京の組織では、新潟県知事選挙について「新潟県知事選 Q&A」「対話のポイント」などの内部資料が配布されている。「そもそも野党は原発問題の前に、前知事の前代未聞の不祥事を謝罪すべきだ」との見出しのついた「対話のポイント」には、「今回は野党統一候補の甘い言葉に絶対にだまされてはいけないよ」などとあり、原発再稼働についても、「両者の政策に違いはない」などと、名護市長選挙で辺野古新基地建設を徹底的に隠したように、ここでも原発再稼働隠しを図っている。
政権の「アクセルとハンドル」だという公明党と、その組織母体で、いまや安倍自公政権最大の支持基盤となった創価学会。新潟県知事選挙でも、国民・県民の意向などおかまいなしの暴走ぶりである。