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1月号

1月号目次

閻魔帳

激化する宗教的狂信vs人類の叡智・人権との相克/広岡裕児

 

特集/虚飾の90年──池田大作の罪と罰

齢90を迎えた池田大作を支える「創価学会=公明党」がたどる先細りの可能性/古川利明

池田大作氏の苦渋──生誕90年を振り返って/段 勲

「30歳まで生きられない」の3倍生きた池田大作の虚飾人生/乙骨正生

 

トピックス

安倍改憲を扶翼する、神社本庁、神道政治連盟、日本会議による伝統破壊の実態/橋本征雄

トピックス

年間20億円を宗教法人に還流する幸福実現党/藤倉善郎

トピックス

教団イベントに大量の議員と秘書を派遣か 自民党と統一教会・家庭連合、顕在化する癒着構造/鈴木エイト

 

  • 連載

信濃町探偵団──創価学会最新動向

新・現代の眼(第17回)

習わざるを伝えしか/菅野 完

ヨーロッパ・カルト事情238

国会報告「健康の分野におけるセクト的性格の運動の影響」(5)/広岡裕児

執筆者紹介  編集後記

 

 

 

編集後記から

平成として実質、最後の一年となる平成30(2018)年が幕を開けました。

その平成を振り返ると「平らかに成る」との元号に託された願いとは裏腹に、阪神・淡路大震災に東日本大震災と原発事故、さらには熊本震災に御嶽山噴火、そして毎年のように惹起した豪雨災害と、自然災害(原発事故は人災)の多い時代だったように思われます。

もっとも日本列島は災害列島といわれるだけに、震災や火山災害、水害は平成に限ったことではないのでしょうが、リアルタイムで可視化された映像や情報が私たちの耳目に飛び込んでくるだけに、各種の災害がひときわ多かったような印象を受けるのかもしれません。ぜひとも平成最後の一年は、心休まる平穏な一年であって欲しいと願わずにはいられません。

そんなリアルタイムで可視化された映像や情報が飛び交う時代にあって、平成22年5月以来、大衆の前にまったく姿を見せないまま、創価学会に君臨し続けている池田大作名誉会長が90歳の卒寿を迎えました。足掛け8年にわたって最高裁が公人と認定した池田氏の健康状態に関する情報や動画を公表しようとしない創価学会。公益法人たる宗教法人として税制上の優遇措置を受けていながら、情報開示に後ろ向きの創価学会の姿勢には呆れるばかりです。小誌今号では、その池田氏の虚飾に満ちた90年を特集しました。

ところで昨年12月8日、東京の下町・深川にある富岡八幡宮で凄惨な殺人事件が発生しました。元宮司の弟が現宮司の姉を日本刀で刺殺し自殺するという異常な事件の背景には、宮司職をめぐる相克があり、その相克を助長する要因のひとつに神社本庁の宮司選任の問題があったものと見られています。その神社本庁は、いまさまざまな問題を孕んでいます。その中には、自公連立政権の領袖で、改憲を悲願とする安倍晋三首相の強力なバックアップ団体として、全国の神社に強要している改憲を推進するための政治的な動きもあります。今号ではそうした神社本庁と神社をめぐる軋轢も取り上げました。ご一読ください。

特集虚飾の90年──池田大作の罪と罰

「30歳まで生きられない」の3倍生きた池田大作の虚飾人生

乙骨正生

ジャーナリスト

 

金集めのセールスポイントにされた卒寿

昨年末、創価学会は会員に「2018 世界広布新時代 栄光の年《福運箱》」なる紙製の貯金箱を配布した。そこには「広宣流布大誓堂完成5周年の11・18へ。わが家の幸福の基盤を築く財務。福運箱を組み立てて、1年とおして挑戦しよう!」「500円玉で10口貯まります」などとあり、正月早々、年末の「財務(集金)」に向けて1年間にわたって500円玉を貯め、10口すなわち10万円の「財務」に挑戦するよう促している。

その「福運箱」には、「2018年 栄光の佳節」との記載があり、冒頭に「1月 池田先生卒寿」と記載されているが、当の池田大作創価学会名誉会長はかつて「いままでの宗教は、ぜんぶ企業であります。法盗人、法を盗んで、そして信者を、どれいのごとく扱い、金もうけ専門であります。だから邪教というのです」(昭和38年8月17日付『聖教新聞』)などと、宗教に名を借りた金集めを批判。創価学会はそうした金権宗教とは違うと次のように大見得を切っていた。

「創価学会としては、永久に皆さん方から、ただの一銭も寄付を願ったり、供養願うようなことはいたしません」(昭和37年6月16日付『聖教新聞』)

そんな池田の卒寿が、「財務」という名の「集金=金儲け」を促すセールスポイントとなっていることは、虚飾と虚構に満ちた池田の人生と、創価学会の欺瞞的体質を象徴する事実といえるだろう。

日本人男性の平均寿命80・98歳(厚労省・平成28年簡易生命表)を10歳も上回る長寿となった池田だが、これまで池田は折に触れて自らを病弱だったと強調、医者から「30歳まで生きられない」と言われていたと吹聴してきた。例えば平成16年11月に聖教新聞社から出版された『健康と生命と仏法を語る』には次のようにある。

「私も病弱でした。幼い時には、高熱を出したり、肺炎にかかり、ずいぶん母を心配させた。10代になって結核にかかり、毎日、熱が出て、夕方から体がだるくなった。本当に苦しかった。結核は当時、“不治の病”です。医師からは『30歳まで生きられないだろう』と言われ、食事も十分に取れず、あばら骨が浮き出るほどやせ、血痰も吐いた」

平成19年4月1日付「聖教新聞」掲載の「桜花の『4・2』に恩師を思う」と題する随筆にもこう書いている。

「私自身も、結核を患っていた。結核は、昭和十年から二十五年まで、ほぼ連続して日本人の死因の一位を占め、毎年数万人もの生命を奪ってきた。私は医者から三十歳まで生きられないと言われ、微熱や咳に苦しみ、時に血痰を吐きながら、ただ一人、苦境の先生を支え抜いた」

それだけに30歳で死ぬどころか、3倍の90歳まで生きられたことは、池田にすれば望外の喜びだろう。だが、この病弱、そして結核に罹患し医者から「30歳まで生きられない」と告げられていたというフレーズには疑問符が付く。

 

体操が全甲だった池田の通信簿

池田は、前出のように宗教を利用した金儲けを否定し、創価学会は会員から「永久に」「寄付」や「供養」を取ることはしないと宣言したにもかかわらず、今日、平然と会員から「財務」や「広布基金」、「接遇」などと称する集金・収奪行為を行って恥じない厚顔無恥な人物。それだけに自らの健康状態についても平然と嘘をついている可能性が高い。

たとえば池田は、病弱で母を心配させたと言っているが、池田の小学校時代の通信簿には、病弱とは思えない事実が記載されていると、ノンフィクション作家の溝口敦氏は、本誌32号特集記事「『池田大作重病』説をめぐって」に、羽田第二尋常小学校時代の池田の成績を紹介している。そこにはこうある。

「池田病弱説は青年期に至るまでたぶんにまゆつばである。羽田第二尋常小学校時代の通信簿を見ると、欠席日数の少なさと体操の甲が嫌でも目につく(体操は二年から六年まで全甲、病欠日数は三年時の九日が最高で、一年時二日、四年と六年時には欠席がなく全出席、五年時は欠席一日)」

体操で二年生から六年生まで全甲、欠席日数も少ない児童が、病弱だったとはにわかには信じ難い。そして医者から「30歳まで生きられない」と告知されていたということについても、池田が日本経済新聞に連載した『私の履歴書』(昭和50年5月に日本経済新聞社から刊行)には次のようにあり、齟齬をきたす。

「病弱に悩まされ、三十歳まで体がもたないのでは、と危惧しつつも、夢中で今日まできてしまった」(序文)

「戸田先生も考えていたようであったが、私も心ひそかに三十歳まで体がもたないのでは、と危惧することがあった」(苦闘の日々)

医者から告知されるのと、自分が「ひそかに」思っていたのとでは大違い。だいたい結核で死にそうだと呻吟していたはずの昭和25・26年から、わずか1・2年後の27年に、池田は24歳で白木かねと結婚している。「三十歳まで体がもたない」どころの話ではない。

同様に結核への罹患についても疑問が残る。なぜなら昭和31年7月出版の『宗教と信仰の心理学』(河出書房)所収のインタビュー記事で、池田は自らの病歴に触れているが、その際、結核への罹患にまったく言及していないからである。

「生まれは大森のノリ屋です。三歳くらいの時蒲田に移り、それ以後東京に住んでいるわけです。小学校では栄養不良で三・四回も死にそこない、がんらい体が非常に弱かったんです。終戦の年には六回目の肋膜をしていましたし、肛門性(コウモンネンパクビラン)のもので、耳や鼻などみんな悪く、血啖が出てたんです)

不治の病とされた結核に罹患して血痰を吐き、「三十歳まで生きられない」と医者に告知されていたという池田が、自身の病歴を語るにあたって、結核に言及しないのは不自然極まりない。また欠席日数も少なく、体操が全甲だった池田と、「栄養不良で三・四回も死にそこな」ったという池田像は結びつくものではない。

 

功徳・利益の強調そして自己専用の手段

通信簿の内容と乖離する池田発言。通信簿は公文書ではないが、公文書である学籍簿に準ずる扱いを受けており信用できる。ではなぜ池田が病歴や健康状態について嘘をついているのか、その理由と原因を推し量ることを可能とする記述が『宗教と信仰の心理学』にはある。

「信仰しなかったならば二三くらいで死んだだろうといわれています。信仰していなかったら貧乏で、病気で死んでいたでしょう。わたしは今それから六年経っていますがずっと順調で申し分のない幸を得ております」

この発言からは、池田が病弱や若死にを信仰の功徳・利益を強調する根拠として活用していることが分かる。要するに池田は、創価学会の宗教的正当性を強調するための根拠として、また「桜花の『4・2』に恩師を思う」で、「私は医者から三十歳まで生きられないと言われ、微熱や咳に苦しみ、時に血痰を吐きながら、ただ一人、苦境の先生を支え抜いた」と強調していることからも分かるとおり、自らを戸田二代会長を「ただ一人」支え、仕えた弟子であると強調することで、戸田の後継者としての正当性や、会長としての権威・カリスマを構築するための手段として、「病弱」「30歳まで生きられない」という虚飾ないしは虚構に満ちたフレーズを駆使してきたのだ。

そうした姿勢は、昭和31年当時から今日まで一貫しているので、最近の言説をいくつか紹介しよう。まずは80歳を迎えた平成20年1月開催の第14回本部幹部会兼広布第二幕第1回婦人部幹部会での発言から。

「体が弱く、医師から『30歳まで生きられない』と言われた私が、信心の功力(くりき)によって、本年、80歳を迎えることができた(大拍手)」

同様に平成10年10月出版の『「第三の人生」を語る─高齢社会を考える─』(聖教新聞社)でもこう述べている。

「十九歳で仏法に巡りあい、そして戸田先生亡き後はその意思を継ぎ、走りに走ってきた。“三十までしか生きられない”と言われた弱い体で、働き抜いてこれたこと自体、大功徳です」

『法華経の智慧』(平成12年刊・聖教新聞社)では、病気を克服する“秘訣”、長寿を勝ち取る“秘訣”としてこんな珍説を披露してもいる。

「この信心に立ったときに、己心の『薬王菩薩』が意気さかんに活動を始めるのです。自分の全細胞を一新させるくらいの決意で祈るのです。六十兆の全細胞ひとつひとつの薬王菩薩をたたき起こして、発動させるのです。私だって、三十歳までしか生きられないといわれた体で、ここまで働いて、ここまで長寿を勝ち取った」

80歳時には本部幹部会で「信心の功力」を自慢しえた池田だが、90歳を迎えた今年は、人前に出ることも肉声のビデオメッセージを発表することも叶わなかった。どうやら池田は「六十兆の全細胞ひとつひとつの薬王菩薩をたたき起こして、発動させる」ことはできなかったようだ。

池田は70歳を迎えた平成10年の1月4日付「聖教新聞」に、「随筆『新・人間革命』『日に日に新たに』」を発表。その中に「ここに、六十歳以降の、わが人生の歩みと推測を記せば、たとえば、次の如くなる哉。

七十歳まで …… 新しき人間主義の哲理を確立

八十歳まで…… 世界広布の基盤完成なる哉

このあとは、妙法に説く不老不死のままに、永遠に広宣流布の指揮をとることを決意する」と書いた。

しかし現実には、平成22年5月以降、池田は大衆の前に姿を見せることができず、「不老不死のままに、永遠に広宣流布の指揮をとる」どころか、昨年9月の「会憲」制定により、その位置づけは原田稔会長の風下に置かれることとなった。

早晩訪れるであろう物理的生命の終焉をまって、スターリン批判・毛沢東批判同様の池田批判が始まることも不可避だろう。虚飾と虚構に満ちた人生を送った独裁者の末路とはそうしたものである。創価学会に絶対的に君臨し、日本社会を惑乱し続けてきた池田もその範疇を逃れることはできない。(文中・敬称略)

 

乙骨正生(おっこつ・まさお)フリージャーナリスト。1955年生まれ。創価中学・創価大学法学部卒。宗教・政治・社会分野などを取材、週刊誌・月刊誌を中心に執筆。著書に『怪死』(教育資料出版会)『公明党=創価学会の野望』『公明党=創価学会の真実』『司法に断罪された創価学会』(かもがわ出版)など。

 

信濃町探偵団──創価学会最新動向

  • バチカンとICANを宣伝に活用する創価学会

・12月14日付『聖教新聞』「師弟誓願の大行進 座談会」「勢いをます世界広布の前進」「平和建設の連帯広げるSGI」

「伊藤(女子部長)バチカンでは、ローマ教皇庁の招聘を受け、核兵器のない世界への展望を巡る国際会議に、唯一の仏教団体として、SGIの代表が出席しましたね。

竹岡(青年部長)SGIは長年、核兵器廃絶や環境問題などの人類的課題に、多くの人々や団体と強調し、解決への努力を続けてきました。(中略)

原田(会長)今回、ローマ教皇に池田SGI副会長が謁見しました。思えば75年、池田先生と当時の教皇の会見が予定されていました。しかし直前になって、宗門が難色を示し、中止となりました。あれから40年余り。宗教間対話を進め、世界平和に貢献してきたSGIの存在は今、広く社会から注目を集めているのです。

竹岡 先日も、ノルウェーの首都オスロで行われた、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)への『ノーベル平和賞』授賞式に、招聘を受け、SGIの代表が参加しましたね。

伊藤 SGIがICANの国際パートナーとして、核兵器廃絶のための運動に取り組んできたことを評価されたものです。

原田 本年は戸田先生の原水爆禁止宣言から60年。核兵器は、人類の生存の権利を脅かす絶対悪です。核なき世界の実現へ、市民社会の声を、さらに力強く結集していきましょう」

 

※ICANのノーベル平和賞授賞式にSGIの代表が招聘されて出席したことを喧伝し、自らが核兵器廃絶に尽力しているかのようにアピールする創価学会。その創価学会の主任副会長でSGI副会長の池田博正氏がローマ教皇に謁見した事実は本誌前号で報じたが、12月14日付「聖教新聞」掲載の座談会記事で、原田稔会長が1975(昭和50)年に池田大作会長(当時)とローマ教皇が会見する予定があったとの“秘話”を紹介。日蓮正宗宗門の反対で実現しなかったと批判する一方で、池田博正副会長のローマ教皇謁見は、宗教間対話を続けてきた創価学会への評価だと自画自賛している。

世界宗教・世界教団を自称し、「日蓮世界宗創価学会」と名乗ることをめざしている創価学会は、今後もこの手の宣伝・アピールを繰り返すことだろう。

 

  • 信濃町の池田専用施設に少年が侵入・傷害容疑で逮捕

・12月31日付「産経ニュース」「創価学会施設前で警備員をナイフで切りつけた少年を逮捕 警視庁」

「30日午後5時半ごろ、東京都新宿区信濃町の創価学会関連施設前の路上で、少年(19)が30~40代の男性警備員2人にナイフで切りつけた。2人は右腕や腹部を切られ、全治10日~1カ月の軽傷を負った。警視庁四谷署が傷害の疑いで少年を現行犯逮捕した。

四谷署によると、少年は柵をよじ登って施設内に侵入したとみられる。警戒中の警備員が発見し、施設前の路上に連れ出した。

警備員2人が話を聞こうとした際、少年が刃渡り14センチのナイフを取り出して暴れ出した。2人は近くにいた50代の男性警備員とともに少年を取り押さえ、通報を受けて駆けつけた四谷署の捜査員に引き渡した。

少年は警備員ともみ合った際に右足に切り傷を負うなどしたため、病院に搬送されたという。

四谷署は入院した少年をいったん釈放し、回復を待って詳しい事情を聴く」

 

※12月30日夕、19歳の少年が創価学会施設に柵を乗り越えて侵入、警備員に捕獲され話を聞かれている最中に暴れだし、ナイフで警備員に切りつけ逮捕されるという事件が発生した。

新聞報道では、詳細は分からないが、創価学会内部で流れている話によると、少年は創価学会の施設警備を担当する牙城会の会員で、侵入しようとした施設は池田大作名誉会長が事実上の居宅として使用している学会本部第二別館だと伝えられる。

この話が本当ならば、あるいは少年は、平成22年以来表に出てこない池田氏に会おうと思って第二別館に侵入したとも想像される。

いずれにせよ事件の詳報が待たれるが、警察が事件の詳細を発表するのかどうか、仮に発表したとしてもはたしてマスコミが報道するのか否か。注目されるところ。

 

  • 市川雄一元公明党書記長が死去

・12月15日付「毎日新聞」「訃報 市川雄一さん 82歳 公明元書記長」

「公明党の書記長などを務めた元衆院議員の市川雄一(いちかわ・ゆういち)さんが8日、神奈川県内の病院で死去した。同党が14日、発表した。82歳だった。葬儀は近親者で営んだ。公明新聞記者などを経て、1976年総選挙で旧神奈川2区から初当選し、当選9回。党国対委員長、書記長などを歴任した」

 

※公明党の書記長などを歴任した市川雄一氏が12月8日に死去。14日になって公明党が発表したことからマスコミが一斉に報道した。その功罪は抜きにして朝日・日経をはじめマスコミ各紙が評伝記事を掲載し市川氏を偲んでいるが、創価学会は冷淡そのもので、10面社会面の片隅に「公明党元書記長 市川雄一氏死去」との訃報記事を載せただけだった。

 

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