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2018年9月号

9月号目次

閻魔帳

批判的なメディアは「国民の敵」のトランプ発言 米国メディアは反発、日本は安倍の報道操作に屈す/川﨑泰資

 

特集/創価学会“靖国献灯”騒動が映し出したものとは

 

靖国“献灯”と宗教的純粋性 国家神道の下での特別な役割/柿田睦夫

靖国献灯騒動の背景で右派勢力と親近する創価人脈/伊藤博敏

創価学会名義による靖国献灯問題──政治的ロジックと化した『謗法厳誡』/乙骨正生

「創価学会」を騙った靖国神社への献灯から透徹できる「自公の癒着」を斬る/古川利明

誰が奉納したのか? 靖国神社に浮かび上がった「創価学会」の献灯/段 勲

 

トピックス

オウム事件に関して2団体が対象的なイベント/藤倉善郎

 

  • 連載

信濃町探偵団──創価学会最新動向

新・現代の眼(第25回)

豺狼路に当たれりいずくんぞ狐狸を問わん/菅野 完

ヨーロッパ・カルト事情245

創価学会の名も出た政府対策機関年次報告/広岡裕児

執筆者紹介  編集後

 

編集後記から

小誌事務所の最寄駅はJRと地下鉄の飯田橋となります。その飯田橋駅から南西約500メートルのところに靖国神社があります。その靖国神社は毎年7月13日から16日にかけて「みたままつり」を開催。これには多くの旧軍人やその遺族ならびに関係者、企業や団体などから提灯が献灯され、境内一帯は3万灯もの黄色い提灯で埋め尽くされます。

今年、そうした提灯の中に「創価学会」と書かれた提灯が1つ献灯されていたことから、ネットで大騒ぎになりました。当初、創価学会はこの問題について沈黙を守っていましたが、池田大作名誉会長の入信記念日にあたる8月24日になって、機関紙『聖教新聞』に「学会を勝手に騙り、『創価学会』の名称入りの大型提灯を陳列させた氏名不詳者を23日、偽計業務妨害罪及び名誉毀損罪で、警視庁(麹町警察署)に告訴の申し立てを行った」と発表し、献灯の事実を否定しました。また「学会の名称入り提灯が陳列されることは、『謗法厳戒』を旨とする学会が謗法を容認したとの印象を与える」として、靖国神社に献灯することは「謗法(仏法上最も重い罪)」行為であることを闡明しました。

すでに創価学会は自公連立政権発足の直前、神社等の祭りに参加することを容認する見解を、秋谷栄之助会長(当時)名義で発表しています。それがここにきての突然の「謗法」見解。いったい「創価学会」名義での靖国献灯からなにが見えるのか、小誌今号では騒動の周辺や背景を特集しました。

平成最後の夏となった今年の8月。今上天皇は政府主催の全国戦没者追悼式での「お言葉」で、「深い反省」に立った「戦後の長きに渡る平和な歳月」を肯定する意思を明らかにされました。一方、改憲を悲願とする安倍晋三首相は、「式辞」中で、歴代首相が述べてきた「不戦の誓い」に触れることはなく、アジアへの「加害と反省」に言及することもありませんでした。

その安倍首相は、9月20日に実施される自民党総裁選での3選を目指しており、3選されれば憲法九条の変更をメインとする改憲に全力を賭すと発言しています。

翁長雄志沖縄県知事の急死にともなう沖縄県知事選挙で、公明党は早々と辺野古推進派の宜野湾市長の支援を決めました。かつて池田名誉会長は、先の大戦でもっとも激しい戦争の惨禍を受けた沖縄には「核も基地もいらない」とくり返し発言してきましたが、創価学会・公明党は今年2月の名護市長選に続いて新基地建設容認の候補を支援するのです。池田氏は憲法についても「九条だけは変えてはいけない」と発言していますが、創価学会・公明党は憲法についても安倍首相に追従するのでしょうか。

特集/創価学会“靖国献灯”騒動が映し出したものとは

 

靖国“献灯”と宗教的純粋性

国家神道の下での特別な役割

 

柿田睦夫

ジャーナリスト

 

政権参画後に急変した純粋性

靖国神社の「みたままつり」(7月13~16日)に創価学会名の奉納提灯が登場した。このような例が確認されたのはこれが初めてだ。

「みたままつり」には提灯3万灯、雪洞300灯がならびみこし振りなどもある。靖国神社の最重要祭事は春秋の例大祭だが、参拝者数などの規模としては「みたままつり」が一番大きい。献灯料は1万2000円。玉串料や供花料と同様、献灯はまぎれもなく宗教行為である。話題騒然となって当然だ。もし創価学会が本当に献灯したのなら、それはみずからの宗教理念の許容範囲だということになり、これでは社会的儀礼・習俗的行為論という自民党改憲草案(12年4月)の領域に入ってしまうことになるのだから。

「まつり」終了から1カ月あまりたった8月23日になって創価学会が動いた。学会の名を騙った行為であり偽計業務妨害罪と名誉毀損罪に当たるとして献灯者を氏名不詳のまま麹町署に告訴。翌日付『聖教新聞』でそれを伝えた。一方、靖国神社広報部は『仏教タイムス』の取材に対して、献灯申し込みは個人名であり、個人情報保護のため氏名は公表しないと答えたという。

氏名不詳者とは何者か。いくつかの可能性がある。まず考えられるのは「悪意の第3者」だ。俗に言う愉快犯もこれに含まれるだろう。そうだとしたら、宗教団体の信仰的名誉を貶める所業であり、断じて許されるものではない。

次に考えられるのは、献灯申し込み者が創価学会関係者の場合だ。“悪意のない献灯”である。これも、後述するような事情から可能性はないとはいえない。前掲『聖教新聞』は「学会は献灯の申し込みなど一切行っていない」とだけ書いている。学会関係者個人名義による申し込みまでは否定していない。「組織の代表者としての個人」という例はよくあることだ。ここでいう「学会は」が学会本部を指すのか、末端組織まで含むのかも判然とはしない(その他の可能性については省略する)。

創価学会はしばしば「独善的」といわれてきた。他宗教を「邪宗教」と呼んで実力的に排撃し、「西の天理、東の佼成会を討て」と呼号して、それを実行したという歴史がある。修学旅行の日程に寺社参拝を入れることに抵抗をしてきた。だがそれは、いいかえればそれほど宗教的純粋性があったということだ。

そんな純粋路線が劇的に変化したのは、1999年の自公連立、つまり創価学会の本格的な政権関与後のことだった。

同年10月、庭野日敬立正佼成会開祖の葬儀に創価学会副会長や公明党副代表ら5人が、何の前触れもなしに参列した。同じ10月、公明党衆参議員が突然、全日本仏教会や新宗連、神社本庁を訪問。「従来心ならずも疎遠になっていましたが」とする“対話”の申し入れ文書を届けた。各団体はこれに「無視」の姿勢を貫いたが、宗教界の大半は一連の行動を、政権を後盾にした“対話の強要”だと受けとめた。

これらの行動に並行して、創価学会は「地域友好」路線を開始する。従来の「地域部」を「地域本部」に格上げして町内会、商店会、PTA、民生委員、消防団などの専門部を設置、「マンション委員会」「福祉委員会」なども置いた。『聖教新聞』や『第三文明』誌に民生委員や消防団などで活動する学会員を登場させ、近所づきあいのノウハウ特集を組んで地域住民組織への浸透を図った。

地域の住民組織掌握と情報収集のネットワークづくり。その一環として打ち出したのが地域の神社の祭礼参加の解禁だった。学会本部のある東京・信濃町近辺の町内会ではいち早く、祭礼の運営協力金を「自治会協力金」のように名目を変えて出すようになり、これが全国に広がった。参加の度合いには濃淡があるけれど、積極的に氏子組織の役員に就く学会地域幹部もあらわれた。

さきに「後述するような事情」といったのはこのことを指すのだが、だからといって地域の夏祭りと靖国神社の祭礼とを同列に置くことはできない。靖国神社は戦前の国家神道政策の中核施設として造られた神社であり、国家神道解体後のいまも当時の役割を保ち続けている宗教施設だからである。

 

「後に続く」戦死を誓う場所

創価学会の「永遠の師匠」(会憲・会則各3条)である牧口常三郎初代・戸田城聖2代会長ら創価教育学会幹部が治安維持法違反、不敬罪で逮捕されたのは敗戦2年前の1943年。牧口は翌年11月に獄死した。“反戦・平和”で弾圧されたのではない。逆に牧口らはあの侵略戦争には肯定的立場だった。神宮の大麻を拒否し、戦争に勝つためには日蓮正宗を採用せよと「国家諫暁」をしたから、つまり国家神道に抵抗したゆえの弾圧だった。今日、創価学会の中心思想とされる「師弟不二の精神」には、牧口や戸田らのこの“殉教の志”が含まれているはずだ。

牧口らが抵抗した国家神道とは何か。これは明治政府が天皇を絶対的権威として国民を統合するために創設した、新たな宗教体系である。土俗性、習俗性を持ち、生活点で民衆と結びついていたそれまでの神道を解体し、天皇の祖先神をまつる神宮(伊勢神宮)を頂点として再編したものだ。

その中でも靖国神社は特異な存在である。創建は1869(明治2)年。「東京招魂社」として創建し、10年後に靖国神社に改称した。伝統的な神道ではなく、道教の「招魂」思想を源流にして国家神道の重要なパーツを担う、新設の宗教施設である。

1889(明治22)年の大日本帝国憲法(明治憲法)発布は、伊勢の神宮に奉告したうえで行われた。支那事変、南京侵攻、対米英宣戦なども神宮に奉告し天皇の祖先神の承認を得る形で行っている。開戦奉告や戦勝祈願が神宮の役割だった。

一方、靖国神社は戦争で死んだ=殺された者への役割を担った。戦争が起こり戦死者が増えるに伴って祭神も増える。将来、戦死者が増え続けることを想定した神社である。

戦没者遺族をはじめ多くの人々が靖国神社に参拝する。それは戦没した肉親を追慕し「慰霊」を目的にした参拝である。だが、それとは違う目的で参拝する人々がいる。

1985年8月15日に「公式参拝」を強行するさい、中曽根康弘首相は「これが戦後政治の総決算だ。過去のことでなく、21世紀へ向けて前進の体制をつくる」と語った。靖国参拝は「過去のこと」、つまり戦没者のためではない、「21世紀に向け」た体制づくりなのだと公言した。

「米軍が攻撃をうけた場合、日本が何もしなくてよいのか」「いざという場合には命を捨てることに敬意を持つ」と首相就任会見で語って靖国参拝をしたのは小泉純一郎首相だ。安倍晋三首相が寵愛する稲田朋美元防衛相はよりストレートに靖国参拝の意義を語っている。

「靖国神社というのは不戦の誓いをするところではなくて、『祖国に何かあれば後に続きます』と誓うところでないといけないんです」

神道が教える「鎮魂」、つまり戦没者の「慰霊」ではなく、戦死者の「後に続く」決意を固める場所が靖国神社なのだという、「招魂」思想による参拝だという。

創価学会が組織としてこのような靖国神社の祭事に参画したとは、とても考えられない。だがその一方で、自衛隊の海外派兵を可能にするPKO法案を皮切りに、集団的自衛権の行使容認の閣議決定、安保関連法(戦争法)など、新たな戦没者をつくりかねない諸法案や、現代版治安維持法である「共謀罪」法に公明党が賛成し、創価学会がそれを承認するという現実もある。

話を靖国献灯の問題に戻そう。「氏名不詳」の人物は誰か。それを特定させるのは、さして困難なことではない。靖国神社はマスコミ等には不開示の姿勢だが、創価学会は当事者であり、警察には捜査の義務と権利がある。これに対してまで不開示にする理由は靖国神社にはないはずだ。告訴と捜査の“本気度”にかかっている、というべきだろう。

 

柿田睦夫(かきた・むつお)フリージャーナリスト。1944年生まれ。業界紙記者などを経て1979年から「しんぶん赤旗」社会部記者。退職後「現代こころ模様」シリーズなどで「宗教と社会」の関わりを取材。葬儀や戦後遺族行政に関わるレポートも多い。『霊・超能力と自己啓発─手さぐりする青年たち』(新日本新書、共著)『統一協会─集団結婚の裏側』(かもがわ出版)『現代葬儀考─お葬式とお墓はだれのため?』(新日本出版社)『宗教のないお葬式』(文理閣、共著)『これからの「お墓」選び』(新日本出版社)『自己啓発セミナー─「こころの商品化」の最前線』(新日本新書)『現代こころ模様─エホバの証人、ヤマギシ会に見る』(新日本新書)、新刊に『創価学会の“変貌”』(新日本出版社)など著書多数。

信濃町探偵団──創価学会最新動向

・8月22日付『聖教新聞』「随筆 永遠なれ創価の大城 池田大作」「『立正安国』へ不屈の前進!」

「池田先生ご夫妻が信越の友のもとへ。小説『新・人間革命』の執筆開始から25周年の今月6日、長野研修道場で」

「大聖人が『立正安国論』を発表されて満七百年(一九六〇年)の七月十六日を、私は沖縄の同志たちと迎えた。それは、悲劇の歴史に挑み立ち、地涌の勇者が敢然と踊り出た、この宿縁の天地に、『立正安国』『広宣流布』の最先端のモデルを創造するためであった。(中略)だからこそ私は、小説『人間革命』の執筆を、沖縄で開始した。恩師の七回忌を未曾有の弘教で荘厳し、平和への民衆の大陣列を広げた一九六四年(昭和三十九年)の十二月二日である」

 

※猛暑だった今夏、池田大作創価学会名誉会長は、長野県軽井沢町にある長野研修道場で静養の日々を送ったらしい。8月22日付『聖教新聞』3面掲載の「随筆 永遠なれ創価の大城」には、ゴルフ場などで使用される電気カートを改造したとみられる自動車様の乗り物の後部座席に座って、信越の幹部らの歓呼に創価の三色旗を振って応える池田夫妻の写真が掲載された。

例年、8月24日の池田氏の入信記念日前後に、創価学会は池田氏の健在を誇示するための近影写真を掲載してきた。以前は、池田夫妻二人が並び顔面の表情も分かる写真が掲載されていたが、昨年からは顔の表情が判別できない遠景の写真となった。そして今年も夫妻が多数の信越の幹部らにカートの中から手を振っているという遠景写真。もちろん顔の表情などまったく覗えない代物だが、少なくとも池田氏の健康状態が、軽井沢まで出かけ、カートに乗って手を振ることができる程度の健康状態であることは分かる。

ところで池田夫妻の写真が掲載されている随筆記事で池田氏は、沖縄と広島に言及している。このうち沖縄については、沖縄が「立正安国」と「広宣流布」のモデルの地となることを願って、創価学会が「末法の御本仏」(会憲)と仰ぐ日蓮聖人が、「立正安国論」を発表してから700年の佳節には、沖縄の同志と一緒にいたとか、『人間革命』の執筆を沖縄で開始したなどと強調。沖縄にたいする特別の心情を綴っている。

これは翁長雄志知事の急死にともなって、9月30日投開票で沖縄県知事選挙が実施されることを視野にいれた沖縄にたいするメッセージと読むことが可能だ。すなわち沖縄を「立正安国」と「広宣流布」のモデルとするために、「立正安国」の戦いである選挙闘争に挺身しろとの謂(いい)である。

その選挙闘争で創価学会が支援の対象とする自公が擁立した候補は、辺野古新基地建設容認派で日本会議の議員連盟に所属する宜野湾市長。その結果、太平洋戦争でもっとも悲惨な戦禍をうけた沖縄には「核も基地もいらない」と訴えていた池田メッセージからは、そうしたフレーズがすべて抜け落ち、むしろ「立正安国」「広宣流布」という曖昧模糊とした宗教用語で、創価学会執行部が推し進める選挙闘争を後押しするだけの内容となった。池田氏の健在を誇示する写真の掲載と、メッセージ内容の変容。興味深い相関関係である。

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