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11月号目次

 

閻魔帳

退潮の歯止めがかからない創価学会・公明党の地滑り現象/段 勲

 

特集/衆院選総括――公明党60周年の帰結

 

創価・公明の劣化を刻印した衆院選惨敗/溝口 敦

自民党に天罰、公明党に仏罰下る/佐高 信

「折からの低投票率」でも池の杭が水没し大惨敗を喫した「公明党=創価学会」/古川利明

池田大作「一周忌」を衆院選勝利で飾れなかった創価・公明/乙骨正生

 

トピックス

与党大敗の衆院選は統一教会問題の「禊」になったのか/藤倉善郎

トピックス

衆院選大敗北を前に裁判でも負けていた公明党/本誌編集部

 

  • 連載

信濃町探偵団──創価学会最新動向

「日本の議会政治」を考える(番外)

「石破茂」(自民党新総裁・首相)論/平野貞夫

ナニワの虫眼鏡(第65回)

常勝関西が崩壊  維新との戦いに完敗の公明党/吉富有治

ヨーロッパ・カルト事情(314)

セクト対策に敵対する宗教社会学者の誤謬(2)/広岡裕児

執筆者紹介 編集後記

 

 

編集後記から

注目の第50回衆議院総選挙が終わりました。10月28日投開票となった衆院選を創価学会は、昨年11月15日に死去した池田大作三代会長の一周忌を勝利で飾る「師恩に応える法戦」と位置づけ、眦(まなじり)を決して選挙闘争を繰り広げました。

すでに岸田文雄首相(当時)が総裁選不出馬を表明した時点で、今秋の衆院解散総選挙は確実視されていたことから、創価学会の原田稔会長は、小選挙区に公明党候補が立つ地域の学会組織を訪れ、指導激励に注力していましたが、9月30日に石破茂首相が10月9日解散・27日投票で衆院選を実施することを明らかにした10月1日以降は、まさにフル回転で大阪・北海道・愛知・広島・東京と公明党候補が立つ小選挙区の創価学会組織を何度も訪れ檄を飛ばし続けました。

原田会長がこれほど選挙に力を入れ、陣頭指揮をとってフル回転するのは、あるいは2010年1月度本部幹部会で、当時健在だった池田大作名誉会長から選挙の敗北についてのきつい叱責があったことがトラウマになっているからなのかもしれません。

創価学会からの内部情報によれば、この時、原田会長は池田名誉会長から「原田、お前になってから全然勝てないじゃないか!みんなに謝れ!」と叱責され、「本当に申し訳ありませんでした!」と謝ったと言われています。

原田会長の前の会長である秋谷栄之助会長は選挙上手といわれていただけに、池田名誉会長の叱責が事実とすれば原田会長はそうとうプライドを傷つけられたことでしょう。

それだけに選挙ではなんとしても勝ちたい――原田会長が政教一致批判もものかわ、なりふりかまわず選挙闘争の先頭に立ち、「功徳」という「鼻先の人参」まで掲げて熾烈な選挙闘争を展開する理由の一端がこんなところにもあるのかもしれません。

原田会長が叱責されたという2010年1月の直前の国政選挙といえば、自公が惨敗し民主党への政権交代が起こった09年8月の衆院選ですが、今回の衆院選の結果も自公で過半数割れの惨敗。09年衆院選で落選した太田昭宏公明党代表が辞任したように、今回の衆院選で落選した石井啓一代表も、9月28日の就任からわずか1カ月で辞任することとなるなど、池田氏の一周忌を勝利で飾ることはできませんでした。

選挙の指揮を執った党の代表が辞任する一方で、本体である組織母体・創価学会で陣頭指揮を執った原田会長は責任をとらないのか、そんな思いも学会員の中には潜在的にあるようですが、一周忌を政治利用された池田氏も、おそらく草葉の陰で「原田、また負けたのか」と立腹されているのでは。

特集/衆院選総括――公明党60周年の帰結

 

創価・公明の劣化を刻印した衆院選惨敗

溝口 敦

ノンフィクション作家

 

物いわぬ民を創出し続けた60年

10月27日投開票の衆院選で自民、公明の与党は惨敗した。公示前の計288議席から73議席も減らし、過半数の233議席を18議席も割り込んだ。そのうち公明は公示前の32議席を8議席減らし、24議席へと低落した。しかも山口那津男前代表(現、常任顧問)から代わったばかりの石井啓一代表は埼玉14区で落選、長らく「常勝関西」を呼号していた大阪選挙区では佐藤茂樹副代表はじめ4候補が全員落選した。ほとんど壊滅状態である。

創価学会の名誉会長・池田大作氏は昨年11月に死亡が発表され、学会、公明はともに本来なら弔い合戦に決起しなければならないところだった。だが、選挙活動に熱心な学会員の高齢化が進んで外部への票読みが不十分になり、比例票は前回比114万減の596万票にとどまった。目標800万票どころか最低値の600万票も割り込んだのだ。

今を去る60年前、1964年11月17日に東京・両国の日大講堂で公明党の結成大会が開かれた。公明党の初代委員長には原島宏治・創価学会理事長が兼任したのをはじめ、党の中央幹部会の全メンバーは学会の副理事長クラスが兼任した。最初から創価学会は分身の術を使ったかのように公明党と不即不離の関係を始めた。

原島委員長は結成大会の挨拶で池田氏が事実上の党首であることを明確にし、「国父」と呼んだ。

67年1月公明党は総選挙を迎え、25の議席を得て初の衆院進出を果たした。その後衆院選は小選挙区制に改編されたが、今回の選挙を経た公明党は小選挙区での議席が4、比例区が20、合わせて24の議席に過ぎない。奇しくも進出第1回の中選挙区制と比べて1議席マイナス、あたかも振り出しに戻ったかのようだ。

前会長の戸田城聖の選挙感は「選挙は学会組織の引き締めにいい」というものだった。「学会は金で選挙に出させるのではないから、はじめから信心によるのですから、信心の指導をしっかりやらなければならん。そうすると、幹部が夢中になって、班長君でも地区部長君でも、信心の指導を真剣にやってくれると思うのです。…選挙は、支部や学会の信心をしめるために使える。まことに、これはけっこうなことではないですか」(戸田「講演集」下)

池田氏は組織引き締めという目的の外に次のような役割を加えた。

①池田が世俗的な分野で攻撃されたとき、公明党が体を張って池田を外護する(創価学会・公明党の出版妨害事件のとき、公明党が田中角栄まで動かし、事件を穏便に片付けようとした例、あるいはルノアール事件など創価学会に税務調査が入った際、党議員などを使って妥協点を探らせた例など)。

②本来は学会が給与や経費の面倒を見るべき本部職員などの幹部たちを、各階梯の地方議員や国会議員の秘書などにすることで、歳費や文書交通費などを国や自治体に支払わせることで人件費などを節減し、また政界上層部などの情報を収集させる。

③議員の持つ情報や人脈を使って各界の要職にある者、あるいは外務省や在外大使館などへのパイプを活用して、海外の大学などから池田に名誉教授職や博士号などを授けるよう働きかける。

まだまだ数え上げればきりがないほど公明党によるダークワークは多かったはずだが、公明党は今まで60年間、こうした役割を果たすことによって内外の社会を汚し、人々の生活を毒してきた。

創価学会は総じて社会的、経済的に恵まれない人が多い組織である。しかし恵まれない層は公明党が自民党と一緒になって示す各種の政策が自分たちの利益と反すると感じたはずだ。いかにも公明党お得意のばら撒き予算年10万円は安直に過ぎる。

それより勘に障るのは年々減額される年金、病院の窓口で支払う健保医療費の負担割合の増加、アメリカからの武器のバカ買い、日米地位協定の不平等、植民地並の日本人の扱い、学費の高騰、奨学金返却の厳しさ、大企業の内部留保、高い消費税、高騰する物価、非正規雇用、低い時給など――であり、生活は苦しくなる一方、将来に夢を持てない時代と感じているのではないか。

つまり創価学会・公明党は学会員の不満や怒りを抑え、だまし、我慢させて同じ所に滞留させるダムの役割を果たしてきた。人々の声を圧殺し、民主的な動きを封殺、財界や自民党に都合がいいおとなしく物いわぬ民の創出が創価学会、公明党の真の役割だったように思える。

今、与党過半数割れを受け、自民党と国民民主党は幹事長・国会対策委員長会談を開き、政策協議に入った。協議は自民党、公明党、それに今回の選挙で議席4倍増の28議席を獲得した国民民主党の3者が行う。始まる前から公明党の影は薄く、除け者感が漂う。

国民民主党は持論の「103万円の壁」の引き上げについて、自民党から色よい反応を引き出す可能性が出てきた。たしかに所得税の課税対象基準を引き上げれば、助かる底辺層は多いだろう。

一事が万事この調子で、60年の歴史を持つ公明党は新参者の国民民主党ほどの役割も果たせないで来た。単に数合わせで自民党にくっつき「下駄の雪」と揶揄されつつ、御身大事に自民党にへいこら従ってきた。

 

宗教性の喪失加速させた政治選択

公明党は創価学会に利益ばかりをもたらさなかった。公明党が政治権力を求める以上、会員外の票をも集めねばならず、そのためには具体的な政策提案に踏み込まねばならない。他党案とのすりあわせなど、創価学会教義をすり減らす機会はいくらもあり、結局はリアルの上に立つ政治が観想に基づく宗教とソリが合うはずもなかった。

早い話、公明党は結成大会のとき、綱領の第3項に「言論、思想、信仰の自由」を掲げたが、信仰の自由は創価学会の折伏理論と相容れず、教義の相対化をもたらさざるを得なかった。その後も当初唱えていた「国立戒壇」を民衆立といいかえるなど、政治はごまかしと言い逃れを創価学会に強いた。

出発当初から宗教と政治は互いに矛盾する関係にあった。やがて両者が断裂し、離散するのは定めというほかない。創価学会と公明党も60年たった今、そろそろ関係をじっくり振り返り、清算する時期に入ったのかもしれない。

たまたま創価学会の元副教学部長・須田晴夫氏は今回の総選挙投票日の直前に、創価学会第6代会長・原田稔氏に宛て「創価学会教学要項」に関する質問をネットで公開した。彼は今年8月、教学要項の内容に異議を申し立てる著書を自費出版し、その中で創価学会がこれまで「釈迦を超える存在」としてきた日蓮を教義の改変で「釈迦の使い」と格下に改めたことに強く異議を申し立てているという。須田氏は、改変の背景を「釈迦の方が世界的に知名度があり、布教に有利だと考えたのでは」と考えているという(「週刊文春」24年10月24日号)。

公明党ばかりか創価学会本体も宗教性より功利を重視する方向に向かっている。もはや創価学会に対して宗教性を云々することはアナクロニズムに等しいといえよう。

ともあれ、創価学会も公明党も絶対守るべき巨悪は去年、幽明境を異にしたのだから、もう関係ない。潔く解散したところで誰も文句を言わない。おまけに公明党に対する自民党の態度は与党づきあいというより、いつでも取り替え可能な群小政党の一つに変化しつつあるようだ。実際、相手が受ける、受けないを問わないなら、自民党が連立を組むべき相手は公明党の外、国民民主党、維新、保守など、いくらもある。公明党の希少性は失われた。

そして公明党の劣化は創価学会の劣化でもある。それは何より比例区の596万票が創価学会の弱体化を語っている。票の内実は会員世帯の少数化というより、活動的な会員の減少を語っている。高齢者は引退か、死。その会外の友人、知人も引退か死。投票を勧誘しようにも活動主体も目標とすべきターゲットもいない。若年層は子育てや食い代稼ぎでフレンド周りの時間がない。何より信仰が習俗化しているか、無神論化している。創価学会のご本尊は家の宗教になり得ていないのだ。

今回の総選挙は自民党の「政治・金」問題が公明党を巻き込んだといわれるが、それ以上に、創価学会・公明党にとって一つの時代を画する選挙になった。

 

 

溝口 敦(みぞぐち・あつし)ノンフィクション作家。1942年生まれ。早稲田大学政経学部卒。出版社勤務などを経てフリーに。宗教関係をはじめ幅広く社会問題を扱う。『食肉の帝王』(講談社プラスα文庫)で第25回講談社ノンフィクション賞、日本ジャーナリスト会議賞、編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム大賞の3賞同時受賞。『堕ちた庶民の神』(三一書房)『歌舞伎町・ヤバさの真相』(文春新書)『パチンコ「30兆円の闇」』『生贄の祀り』『あぶない食品』(小学館文庫)『武富士 サラ金の帝王』『池田大作「権力者」の構造』『中国「黒社会」の掟』『細木数子 魔女の履歴書』(講談社プラスα文庫)『暴力団』『続・暴力団』(新潮新書)『抗争』(小学館新書)『喰うか喰われるか 私の山口組体験』(講談社)など著書多数。

 

信濃町探偵団──創価学会最新動向

  • 大本営発表もかくや―聖教新聞に見る衆院選結果報道

・10月28日付『聖教新聞』「衆院選 公明党、激戦突破相次ぐ」「比例区まず14議席獲得」

・10月29日付『聖教新聞』「公明党 4小選挙区で議席獲得岡本、赤羽、中野、斉藤の各氏」「衆院選 比例区では20人が当選」「公明党声明 捲土重来を期す」

「第50回衆院選は28日午前、全議席が確定した。公明党は擁立した11小選挙区で4人が激戦を突破。比例区では20人が当選し、合わせて24議席を獲得した。与党である自民、公明両党は過半数(233議席)を割り込んだ。(中略・小選挙区では稲津・石井・犬養・佐藤・国重・伊佐・山本の)7人は善戦及ばず、惜敗した」

「石井啓一代表は28日、記者会見に臨み、『合計24議席と、公示前の32議席を割り込む、大変に残念な結果となりました』と述べ、(中略)『今回の選挙結果を真摯に受け止め、“次は必ず勝つ”との決意で、捲土重来を期してまいりたい』と決意を語った」

・同「寸鉄」「仏法は一切の労苦が功徳となる―戸田先生。広布に生き抜く福徳は無量と」

 

※注目の第50回衆議院総選挙が10月27日投開票で行われ、自民・公明の与党両党は、自民党が公示前比で65議席減、公明党は8議席減で、目標としていた与党で過半数(233議席)を大きく割り込む215議席と惨敗を喫した。このうち公明党は全員当選を目指していた11の小選挙区で、石井啓一代表(埼玉14区)、佐藤茂樹副代表(大阪3区)をはじめとする7人が落選。ことに「常勝関西」を謳い文句にしていた大阪の4選挙区で全員が維新候補の前に一敗地に塗れた。

また比例区でも2022年衆院選では711万票だった得票数が596万票と600万票を切るまでに落ち込んだが、公明党の国政選挙での全国規模の得票が500万票台だったのは1971(昭和46)の参院選以来のこと。ちなみに獲得議席数24も、公明党が衆議院選に初出馬した67(昭和42)年の25議席を下回っている。

衆院選公示直前の10月11日に創価学会は各部代表者会を開催、その席上、原田稔会長が「我らの猛然たる獅子吼で学会の正義を満天下に示し、池田先生の一周忌となる報恩の『11・15』を勝ち飾ろう」(10・12付『聖教』)と檄を飛ばしたが、結果は大敗北となった。

しかし投開票から一夜明けた10月28日付『聖教新聞』は、「衆院選 公明党、激戦突破相次ぎ」との見出しと比例区で当選した候補らの万歳写真を掲げ、あたかも順調に議席を獲得しているかのような紙面構成。これは『聖教新聞』の締め切りが早く、小選挙区の票が開く前であることからやむを得ないといえなくもないが、全議席確定後の29日付紙面も、見出しは「公明党 4小選挙区で議席獲得」「衆院選 比例区では20議席獲得」で、写真は当選した小選挙区4候補の万歳写真のみ。石井代表の落選をはじめとする小選挙区の敗北は記事中にさりげなく「惜敗」と書かれているのみであり、「捲土重来を期す」との「公明党声明」も掲載されているとはいえ、あざとい紙面作りと言わざるを得ない。

あげく「寸鉄」では、あたかも負けても「功徳」はあるかのような書きっぷり。

創価学会の「辞書」には「反省」の二文字がないことは重々承知の上だが、惨敗を糊塗するかのような衆院選報道からも創価の根深い「独善的」体質が垣間見える。

 

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