特集/「公明党指南役」が書いた「創価学会本」の意味

インタビュー/著者・平野貞夫元参議院議員に聞く
「公明党の裏国対」が明かす公明党・創価学会の真実とは

2005-8-1

山田直樹 ジャーナリスト

 よちよち歩きの公明党を指南してきた平野氏

 前号「備忘録」でも触れた通り、1969年に創価学会・公明党により引き起こされた藤原弘達氏の著書『創価学会を斬る』への言論出版妨害事件に比肩しうる事態が起きている。この平成版言論弾圧事件の当事者となったのは、『公明党・創価学会の真実』(以下、真実と略)及び『公明党・創価学会と日本』(以下、日本と略=いずれも講談社刊)の著者、平野貞夫氏。そこで本誌は、渦中の平野氏に緊急インタビューを行った。
 その前に、本誌には初登場となる平野氏のプロフィールと政教分離に関する考え方、そしてなぜこのインタビューに応じていだいたのかを記す。
・平野貞夫氏――1935年12月1日、高知県土佐清水市生まれ。59年11月衆議院事務局に就職。60年3月法政大学大学院修了後、65年園田直衆議院副議長秘書、73年には前尾繁三郎衆議院議長秘書に就任。その後3年強、議員運営委員会を担当。80年衆議院委員部第9課長、82年には委員部総務課長、委員部副部長を経て89年に委員部長。92年に退官し、自民党と公明党の推薦を受け、参院選(高知選挙区)に初当選、2期務める。当初は自民党に入党したが、小沢一郎氏の側近として93年に新生党、翌年には新進党の結成に深くかかわる。同党分裂後は自由党結党(98年)に参加し、03年民主党に合流。参議院財政金融委員長に就任、昨年、政界を引退。

 平野氏は長年にわたって「裏の国対委員長」の異名をとってきた。その通り、議会政治の理論と国会法規に精通する人物だ。この体験を記した『日本を呪縛した八人の政治家』や『昭和天皇の「極秘指令」』(いずれも講談社刊)は、いずれもベストセラーとなった。その平野氏が満を持して世に問うたのが、今回上梓された『日本』と『真実』である。
 プロフィールからも分かるように、平野氏が衆議院に籍を置いたとほぼ同時期に、公明党は結党し(64年)、総選挙への挑戦(25名の当選=67年)を経て政界に足場を固めていった。よちよち歩きで国政に登場した公明党議員に、国会の何たるか、国対の方法論、法案の作り方から提出、可決までのプロセスや“落としどころ”を伝授したのが平野氏その人だった。従って平野氏は、公明党の“同志”とも言うべき頼りがいのある存在であり、数々の相談事にのった。それは中正・公平が求められる国会職員に対する法規に明らかに抵触するものだった。
 同様に、政教分離論についても筆者や本誌のスタンスと異なっている。平野氏は『日本』の中で、こう述べている。
 〈私は、宗教団体や信者が必要があると判断すれば、政治に関わることは批判されることではないと思っている。それは、信仰を持つ人々の基本的人権である。しかし、宗教団体が組織として政治活動を行う場合は、人間としての常識に基づく前提条件が必要である。人間の歴史は、信仰する人々が善良であっても、宗教団体の指導者の野望で悲劇が繰り返されてきた。私の思いつく前提条件とは次の四つである。
@宗教は人の心に、政治は人の利害に介入するという特性を持つことを自覚し、謙虚かつ慎重な行動をとること。
A常に権力をチェックし、政治倫理の確立を活動の基本とすること。
B信者に政治的選択を強制しないこと。また、公的選挙の候補者と信仰について取り引きをしないこと。
C政治的、政策的主張は、『信者の利益』ではなく、『国民全体の利益』という普遍性を持つこと〉
 そして、以上の点でスタンスが異なる本誌のインタビューを応諾した理由はこうだ。
 「出版していきなり刑事告訴、それも公党の代表が行ったという重大案件であるにもかかわらず、一切のメディアから取材の要請がありません。逆に言えば、新聞にせよ電波にせよ、この件を報じようとしないのには理由があると思います。私の意見表明が可能であるなら、そして私のスタンスを明記するなら発言をどんどん行っていきたい」(平野氏)

 「公党の代表による刑事告訴」を報じないメディア

 ――平野さんが神崎武法公明党代表から刑事告訴されたのは、2件ですね。
 平野 そうです。いきなり告訴とは驚きましたが、刑事なのでいまのところ私のところには、公明党からも何の抗議はありませんし、検察庁からの照会もありません。2件の内訳は、『真実』が名誉棄損罪で、「週刊現代」記事上(7月9日号=神崎武法『向島醜聞』告発の行方)での私のコメントについても同罪での告訴です。前者では、野間佐和子講談社社長、後者は週刊現代発行人の渡瀬昌彦氏を一緒に告訴しています。
 しかし、『真実』は本全体が「事実無根」だというのか、特定の記述部分かは分かりません。
 ――神崎代表が向島の天麩羅屋で接待役の女性にセクハラ行為を働いたという問題の記述ですが、これは当初、原稿に入れる予定はなかったそうですね。また、『日本』と『真実』で書かれている範囲が、前者は72年〜91年まで、後者がそれ以前と以降というように“入れ子”構造になっているのが不思議です。
 平野 後の部分から説明しましょう。本来この2冊は時系列に沿って1冊の本にする予定でした。そうして書き上げたら、450ページ以上、定価もかなり高い本になってしまう。こうなると価格的な問題で、売り上げが見込めない。そこで版元のアイデアで2分冊にしたのです。
 単に前編、後編で分けるより“入れ子”スタイルの方が読まれるのではないかということでしたが、私は2冊に上手く分けるため、重複部分をカットし、新たなエピソードを付け加えたりと手間がかかりました。それに四苦八苦している最中の5月20日に偶然、神崎代表と出くわしたのです。
 ――衆議院第一議員会館の地下2階、食堂のあるところですね。
 平野 私はエレベーターを待っていたんです。午前11時50分頃と記憶しています。神崎さんは私を見つけて締まりかけたエレベーターから降りてきたのか、その階に用事があって(エレベーターが)開いたら目の前の私にバッタリ遭遇したのかは分かりません。上から下まで睨め付けて、「最近、あなたはウチを強く批判しているが」と言う。かつては議員だったとはいえ、今や私は一介の市民に過ぎません。SPらしき人を同伴していましたが、強い威圧感がありました。私は、「批判すべきことは、これからも厳しく批判する」と返したのです。このやり取りの結果、向島の話を入れることを決意しました。
 ――それにしてもやり方が乱暴です。事前に公明党側がゲラを入手するなりして告訴の準備をしていたと思われますか。
 平野 それはないでしょう。週刊現代には公明党の漆原良夫広報委員長が来訪して、抗議文を渡したのですが、私はこの人をよく知っているのです。弁護士でもありますが、現在の公明党幹部たちには彼に限らず旧知の人々がたくさんおられる。私がメモ魔であり、彼らの困り事の相談にのったり、海外視察で様々な“オーダー”に応じた点について、知らないはずはないのです。
 そのごく一部しか著作には記していません。日本の政治の本筋に必要な部分だけを、ピックアップしているのです。つまり私の本、発言が「事実無根」でないと承知の上、刑事告訴に及んだわけです。
 ――2つの告訴は6月24、27日に行われました。都議選真っ最中に『真実』や『日本』が出版されること自体、公明党がナーバスになるのは分かりますが、その前にご自身へ抗議などはまったく無かった?
 平野 ありませんよ(笑)。
 ――告訴後はどうですか。
 平野 ある筋から探りはありました。ただ、公明党や創価学会(員)からは抗議はありません。むしろあるのは、“情報提供”。無いといえば、メディアから取材の要請も皆無。だいたい公党の代表が刑事告訴を行ったのに、そのこと自体を書いている新聞がありません。私はこの方が心配だ。告訴したのに大騒ぎしないでくれ、といった要請でもあったのでしょうか。おかしな話です。
 ――自公を軸にした政治の裏面史であるのに、失礼ながら新聞の書評欄でも見ませんね。
 平野 それもおかしい。私のコラムが何回か、出版と同時に掲載される予定のメディアがあったんですが、断ってきました。
 ――民主党がこの問題で、国会質疑はやらないのですか。
 平野 実は自民党からはある種の打診があるのに、民主党からはさっぱりです。唯一、出版を歓迎し、私の発言の機会を与えてくれたのが小沢一郎氏です。彼の主宰する政策フォーラムで、テーマは公明党・創価学会問題ではなかったのですが話が出来、本の販売もサポートしてくれました。あっという間に売り切れて、追加を版元から取り寄せましたよ。今のところ小沢さんだけが、理解してくれているようです(笑)。

 公明党に改革の気概などない

 ――告訴に関して、公明党サイドの情報も入っているのではないですか。
 平野 あまり、おおっぴらには出来ませんが。一般的に考えて、党の代表が告訴することは、返り血も浴びる可能性があります。この刑事告訴が、神崎―冬柴体制の交替にどんな影響を与えるのか、考えなければなりません。つまり創価学会内には、これを機会に神崎代表の交替に持っていこうという一派と平野を徹底的に潰せ派が存在していると思われます。
 小泉政権にどこまで寄り添うか。8月の政局は予断を許しませんが、郵政民営化反対派議員を恫喝したのは自民党執行部だけではありません。神崎代表や東順治国対委員長が何をやったか。「賛成しないと選挙協力しないぞ」と自民党への票決権への干渉を行い、反対派議員を脅した。これこそ神崎―冬柴体制の本質です。そういったものに嫌気がさしている議員も公明党内、さらに創価学会幹部にもいるということです。
 ――刑事告訴は、検察にどれだけやる気があるかで帰趨が決まります。『諸君!』が00年に刑事告訴され本誌発行人も被告となった案件は、結局3年後には不起訴。一方で、神戸地検が鹿砦社の社長に対する名誉棄損告訴を受理して、逮捕にまで至るというケースも出始めました。事実の相当性を争うなら、神崎代表は民事で告訴すべきだったし、そうしなかったのには訳があるのでしょう。平野さんは、誣告罪、あるいは「事実無根」と公言されたことに対する名誉棄損で神崎氏を民事で訴えることを考えていますか?
 平野 今のところ、そのつもりはありませんが、これからの展開次第です。
 ――それを知ったら、神崎氏は胸をなでおろすかもしれません。
 平野 むしろ多くの読者に分かってほしいの一点です。幸い、2冊とも重版がかかりました。神崎氏の「賞味期限」は切れかかっています。衆目の一致する通り、ポスト神崎は太田昭宏氏でしょうが、「彼を(オモテに)出すのは、民主党と組む時だ」との考えが公明党内にある。創価学会にしても、ポスト秋谷(栄之助)会長をどうするか。池田名誉会長の健康状態はどうなのか。とても難しい時期に差しかかっているのに、これという人材が見当たらない。
 ――世代交代が進んだとはいえ、細川政権成立、崩壊から自社さ政権成立と新進党結成、そして崩壊まで自ら体験した多くの政治家が永田町にはいます。平野さんは、竹入―矢野体制から石田―市川、そして神崎―冬柴の現体制まで公明党首脳と接してきました。先の「人材はいない」とはどういうことを指すのでしょう。
 平野 今回の都議選でもそうですが、今や公明党の国会議員は創価大学卒業者、外交官や弁護士などの比率がどんどん高まっている。彼らの気風、体質も随分と変わりました。単純な指示でしか動かない、動けない議員ばかりが目立つのです。たたき上げで政局を乗り切ってきた「党人」なら、それなりに柔軟な志向性がある。
 かつて市川雄一氏は、「政治改革のためなら公明党の看板を外しても良い」とまで言ったことがあります。創価学会には「公明党不要論」まで出た時代があったのです。今、公明党に改革の気概などありません。創価学会を通じて、自民党を支配することだけが目標なのです。こうした例を端的に示したのが、山崎拓氏に対する「逆踏み絵事件」でしょう。これは今年4月衆議院補選で勝利した山崎氏が、かつての学会批判を詫び、「皆さん(創価学会)と異体同心の思い」と言った事件ですが、こうした事例を目の当たりにして、憤りを禁じえません。逆に言えば、そうした事態を招く原因のひとつを自分自身が作ってしまった点を国民に詫びる ――それが執筆動機でもあります。
 ――一番の心配事は、いざ政局という状況になった場合、もちろん単独で公明党政権が成立することはあり得ませんから、順当に考えれば民主党へ公明党が秋波を送る、そして連立が成立してしまうことです。
 平野 そうです。少なくとも小沢さんには、公明党・創価学会と組む気はないでしょう。創価学会の支援を受けずに国会へ駆けあがってきた議員たちは、その点をよくよく考えるべきです。彼らと連立を組むことは、即ち、支援者、支持者を裏切ることになると。
 ――民主党と連立などという状況になれば、神崎代表が引っ込んで、告訴をこっそり取り下げるかもしれません。
 平野 私は必要であれば、これからも記録を精査して問題提起を行いたいと考えています。

 平野氏の手元に存在する資料のうち、『真実』、『日本』に使われたのは、繰り返しになるがごく一部である。事実を政治家として吐露した竹入義勝元公明党委員長、矢野絢也元委員長は、創価学会・公明党の激しいバッシングに曝され沈黙を強いられている。本来なら第2、第3の「竹入手記」の書き手が、公明党や学会内部から登場して当然だろう。刑事告訴によって言論を葬る輩を、創価学会員や公明党員は許しておくつもりなのか。


山田直樹(やまだ・なおき)フリージャーナリスト。1957年生まれ。文庫本編集者、週刊文春記者を経てフリーに。週刊新潮に連載した「新『創価学会』を斬る」が「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」の大賞を受賞。著書に『創価学会とは何か』(新潮社)。

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