特集/政教一体の現場―創価学会の都議選

「立正安国の精神で都議選勝利」と叱咤する創価学会の牽強付会

2005-7-1

岩城陽子 フリーライター


 2月から始まっていた「都議選完勝」の会合

 都議会選挙が目前に迫った。今年も各地で地方選挙が相次いでいるなか、創価学会・公明党はとくに都議選に力を注いできた。
 2月4日、創価学会では戸田記念講堂(巣鴨)で総東京の男子部部長会を開いて都議選「完勝」を訴えた。
 翌2月5日には公明党が新宿区の党本部に全国の公明党県幹部を集めて全国県代表協議会を開いた。この席で同党代表の神崎武法は「すべての選挙に連続勝利し、大きな上げ潮の中で都議選の完全勝利を勝ち取っていこう」と訴えた。創価学会も公明党も、すでに2月には都議選をにらんで早々に「完全勝利」の合唱連呼の会合を開いているのである。
 都議選は6月24日に告示されたが、そのちょうど3か月前の公明新聞(3月24日)のトップ記事も「断じて公明23氏の完勝を」だった。もちろん、負ければ「連続勝利」のムードに水をさすから、あらかじめ「完勝」を期して綿密に計画を練って候補者を擁立し、用意周到な準備のもとに行われるのが創価学会の選挙運動だ。
 どの地方選でも次点を嫌い、安全圏を設定して候補者を立てている。だから、ふつうはヒステリックに「完勝」をアピールすることもあるまいとは思う。だが創価学会は違うのだ。とことん危機感をあおって組織を選挙運動に駆り立てる。
 都議選の場合は告示3か月前から目黒・中野・墨田各区をはじめとする学会組織の「スクラム」大会が目白押し。
 公明新聞(3月24日)では「公明党は特に(9選挙区で)かつてない厳しい情勢となっている」と訴えた。では「かつてない厳しい情勢」の根拠は何か。
 第1点は、昨年の参院選での東京の比例区得票が公明82万、民主215万で、この得票差をもとに試算すると、民主党候補の当選入りで公明候補が圏外に弾き飛ばされる選挙区があるとの主張だ。
 しかし昨年の参院選の比例区得票をベースにして、単純に都議選の得票を予測するということ自体にあまり意味がない。2大政党制への流れがムードとして強く意識された参院比例区得票に対して、都議選では自民・民主・公明のほかに共産・生活者ネット・諸派・無所属が入り乱れて定数を埋めていく形態の戦いだ。創価学会という組織を強固な基盤とする手堅い公明候補に不利はない。
 第2点は、公明党の公認候補23人のうち、9人もの新人がいて、その名前が浸透していないという主張。
 しかし創価学会・公明党の選挙運動に、公明候補の知名度はさほど影響しない。むしろ公明党が擁立する23候補者のうち、創価大学卒業者が10名いて、そのうちの5名が同大学卒業の新人候補だという事実に着目すべきだろう。しかもこの5名のうち、公明新聞の記者や編集局に勤めていた若者が3人。新人の平均年齢が45歳。こういう知名度のない創価学会員たちが組織票に押されて「都議会議員」となることの意味を、もう少し真面目に考えなければならない。
 創価学会の庭で育ち、創価学会の組織に推薦された無名の新人が公明党の議員になる。それは都議会議員ばかりではなく、国政選挙でもまったく同じこと。しかも創価学会は公明党議員に対して、
 「知恩・報恩の議員たれ、支持者を裏切った連中の末路を見よ」(聖教新聞2月4日)
 「支持者(創価学会)を裏切る者は叩き出せ」(同4月28日)
 「議員は思い上がるな、支持者に恥をかかせるな」(同5月4日)
 「公明党は議員、家族、OBが率先して戦え」(同6月10日)
 など、徹底して恩を着せ、候補者や議員に対して大きな脅威を与えている。こうした土壌のなかで育つ議員が、本当の民主主義の旗手として活躍できるとは、筆者にはとても思えないのである。

 「東京の勝利は立正安国」と強弁

 では、そのような創価学会の選挙運動のバックボーンは何か。創価学会が理論誌と銘打って発行している『大白蓮華』(6月号)の巻頭言(秋谷栄之助)に、それらしきものが示されている。
 いわく日蓮聖人の「立正安国」の大精神を21世紀の現代にまっすぐ受け継いだのが創価学会であると……。秋谷は続けていう。
 「創価学会の三代会長の闘争も、この『立正安国』の精神をわが魂とした師弟不二の『死身弘法』そのものである。それはまた、民衆を不幸に陥れる邪悪と戦う破折精神であった」
 「仏法の正義を広げる行動は、必然的に、社会の平和への行動に展開する。両者は、一体不可分の信心の結晶である」
 「大聖人の立正安国の闘争は、幕府権力の中枢である鎌倉を中心に展開された。あらゆる権力の魔性が終結する恷都揩ナ、三類の強敵を敢然と打ち破ったのである」
 このように秋谷は、鎌倉時代に日蓮聖人が幕府に呈上した『立正安国論』が、創価学会の選挙運動の原点であると印象づけ、さらには「首都・東京の勝利が日本の勝利との自覚に燃えて、颯爽と進んでまいりたい。その最強の武器は、大情熱の対話である。池田先生は『私どもの発する声が、広宣流布を前進させる』『創価の勝利のため、自身の三世にわたる幸福のために、今こそ勇敢に、しゃべりまくることである』と。師弟の魂が輝く『7月3日』を目指し、全同志が総立ちとなって、正義を語りに語り、堂々たる勝利の旗を打ち立てようではないか」と訴えているのだ。
 どうして「立正安国」が「創価の勝利のためにしゃべりまくる」こととイコールになるのか、筆者には理解できない。
 ここで『立正安国論』について一言。
 同書は日蓮聖人が文応元年(1260)7月に鎌倉で著された国家諫暁の書。上程先は幕府の五代執権職を退いて最明寺で出家していた北条時頼で、このとき時頼は幕府の一切の権力を実質的に握る実力者だった。
 日蓮聖人の遺文のなかでも、同書は聖人自身が初本に追って文言を加え、それが「広本」として残っている。また同書は高弟や末弟の書写本が多いことで知られており、それだけに日蓮門家では重要な位置に置かれている遺文である。千葉県中山の法華経寺に真筆が所蔵されており、『観心本尊抄』『開目抄』とともに聖人の三大著作としてことに有名だ。
 『立正安国論』で日蓮聖人は諸経典をひもとき、そこに示されている災害惹起の原因に着目した。経典の世界では、世の人びとが正しい思想に帰順するならば、善神はそれによって力を増し、悪鬼・悪魔のはたらきを抑制することができるとしている。その逆に、世の人びとが邪悪な思想に支配されるとき、災害をもたらす悪鬼・悪魔が力を増し、人びとを不幸の底に沈めるのだと。
 要するに日蓮聖人は『立正安国論』で、中世における世界観・災害観を提示し、飢饉・疫病・兵乱等の災害を除くために、為政者は正しい思想によって国を治めるべきだと主張しているのである。
 このように、宗教のフレームのなかで鎌倉時代の様相をとらえ、災難対治の方途を立論したのが同書である。
 かつて池田大作が創価学会から出した『立正安国論講義』(昭和41年7月3日発行)には、「創価学会の王仏冥合の戦いが、初めて日本の民衆に、政治を個々の生活と直結するものとして、自己の目で見つめることを教えた」とある。
 昨今は諸般の事情により創価学会では「王仏冥合の戦い」という表現をまったく忌避しているが、そのホンネはやはり「王仏冥合」ということになるのだろう。この『講義』のなかには、「大仏法を奉持し、日本民族の運命を担い、ひいては苦悩に沈む世界民衆を救うために起ち上がったものこそ、日本の宝であり、世界の宝」であると訴え、暗に池田自身を「宝」に例えている(序)。
 『講義』では、また中世と現代との政治体制の違いにも触れている。要するに現代における日本の政治体制は「主権在民」がベースになるから、専制君主の時代の最高権力者に当たるものが、現代では選挙権を有する一人ひとりであるとし、さらには中世の「君主」や「王」に該当するものが現代の政治家であると「講義」しているのだ。
 つまり「王仏冥合の戦い」とは、公明党から議員として立っている政治家と、その政治家を輩出しているところの、仏意仏勅の団体である創価学会とが融合して世間に挑みかかる戦いであることを意味する。
 『立正安国論』は日蓮聖人が権力の魔性と対峙し、時の権力者を諫暁するために奏したものだった。しかし今の創価学会・公明党の戦いは、権力をつかみ取るためにする「民主主義」の看板をかかげた選挙戦である。