雑誌記者の備忘録―あの事件から見える“ダメ日本” (37)

『アエラ』誌学会報道のお粗末

山田直樹(ジャーナリスト)

 新聞社の限界を露呈した連載記事

 「で、どうでした出来ばえは?」
 ――そう言われてもねぇ。朝日新聞の友人記者のそんな質問には、いささか閉口した。昨年11月初頭から『アエラ』誌の創価学会連載が始まったことをご記憶の向きも多かろう。同誌は10年ほど前、「創価学会解剖」なる記事を16回にわたって連載した“戦歴”がある。これはなかなかの力作で、現在でも文庫本で読める。最終回に池田大作創価学会名誉会長のインタビューを企画したまでは良かったが、申し込みを行った担当記者に対して某学会副会長氏は軽くあしらった上、「アンタ、飛ばされるよ」と啖呵を切り、事実、左遷人事が実行された――というような“伝説”が残る連載だった。仁義上、その真相は書かない。
 そんな過去があったものだから、今回も(少しは)期待して同誌の発売日を待った2カ月でもあった。「あった」というのは、そう、ご承知の通り今度の連載「自公5年 創価学会に何が起きているか」は、たった6回で幕を降ろしてしまったのだ(残念!)。
 連載終了を待つかのように、同じ朝日新聞出版局が発行する「週刊朝日」は、池田夫人である香峯子さんの著作を大いに持ち上げていましたっけ。ユゴー展も学会と朝日の共催でした。その“蜜月”があったせいかは分からぬけれど、つくづく新聞の限界を知らされた連載記事だった。
 ざっとタイトルだけ列挙してみよう。
・第1回「池田チルドレン創大卒の台頭」(04年11月8日号)
・第2回「『公明だって自民依存』860万票の虚実」(11月15日号)
・第3回「平和の象徴 沖縄 『理念と現実』の困惑」(11月22日号)
・第4回「震災地に見る池田流と角栄流」(12月6日号)
・第5回「ソフト化しても仏敵叩き」(12月13日号)
・最終回「旧敵慎太郎とも結ぶ『御利益』」(12月27日号)
 週刊誌でありながら毎週の連載が飛んでいるのに、読者への説明は皆無ときた。その度ごとに、連載打ち切りかと思ったぞ。尊大な朝日らしい……。
 この連載を何度も読み返しても、アエラが学会と“添寝”している印象だけが残る。

 「仏敵」の声は報じない

 例えば本誌発行人らが紛れもない利害関係人である「集会」の様子はこう報じられている。
 〈11月中旬、国会近くで反学会色の強い集会があった。そこで、共産党議員がこう言った。
 『創価学会は巨大な宗教法人であると同時に、今や公明党が政権に入り、単なる一つの団体では済まされなくなった』
 そう考えるのは、反学会勢力だけだろうか。学会の立場や影響力が大きく変わったのに、“敵”に牙をむき続けていれば、一時的に批判勢力を牽制できたとしても、むしろ、社会に『声なき声』を広げてしまうかもしれない〉
 この集会で筆者は司会を仰せつかった。アエラの記者が参加していたことも知っている。そして質疑応答を設定していたのに、何の発言もせず退席したことも。「反学会色の強い集会」と言われれば、あながち否定は出来ないが、アエラはどんな内容で国会議員も含め数十人が参集したか、なぜ書かないのだろう。
 「NTTドコモ事件を考える会」(主催は『創価学会関係者による通信の秘密侵害事件の真相究明を求める会)が集まりの正式名称である。これは、創価学会員による携帯通話記録盗み出し事件に関する緊急集会であった。実行犯の嘉村英二が起訴されたことを受け、彼によって通話記録を盗まれた被害者である本誌発行人らが、国会議員達へ事実経過報告と支援の要請のために開いたものだ。
 アエラは、そのことを一行も書かなかった。
 この文章は第5回の「仏敵叩き」記事に登場する。仏敵云々を語るなら、集会で目前にいるまさに“仏敵”=乙骨正生氏に話を聞き、どんな被害を蒙っているのか報じるべきではないか。乙骨氏だけでない。創価学会の仏敵は、それこそ日本国中に存在している。同記事には、その一人の声も載っていない。

 底流にあるのは「ぼやき」だけ

 そして記事はこう締めくくられる。
 〈『いまどき誰とケンカしたって、あそこまで激しく攻撃しないから、(聖教新聞を=筆者注)外部の人に試し読みしてもらったら怖がられちゃう。会員を増やそうと思ったら逆効果だと思うんですけどねえ』
 ある20代の男性会員は、そうぼやいた〉
 そうなのだ。この連載の底流に一貫としてあるのは、この「ぼやき」である。新聞は実に、ぼやきが好きなメディアだろう。一見、取材対象の人物がぼやいているような書き方をしてみせるのだが、実はアエラ自身がぼやきたくて仕方ないのである。連載各記事のオチは、毎度こんな調子だ。
 〈時代は変わる。社会も変わる。それでも巨大教団は自らに課してきた『常勝』の旗を振り続けるのか〉(第1回)
 〈『現場では「今のうちに路線変更し、選挙への取り組みを見直せないか」という声がかなり上がり始めています。しかし、社会や政治へのアプローチを重視する「日蓮主義」から言っても、組織対策上も、学会にとって選挙は切るに切れない生命線。切ったら組織が死んでしまいかねないジレンマに陥っているんですよ』
 ある県長OBの弁である〉(第2回)
 〈自公連立がもたらすメリットを語っていた沖縄の学会幹部は、首相が10月に打ち上げた米軍基地の本土移転構想に話しが移ると、一転して、こう切り捨てた。
 『小泉さんは沖縄県民の声を聞いて「本土移転」を発言したんじゃありませんよ。ブッシュの言うことを聞いたんです。(略)基地と隣り合わせの生活がある限り、沖縄の空は青くても、平和の空じゃないんですよ〉(第3回)
 〈米国型競争社会の下、勝ち組と負け組の差はますます開く。すでに様々な立場の会員を抱える学会にも、その波は押し寄せる〉(第4回)

 そして最終回は、池田氏の故郷、東京の大田区大森海岸を探訪して、その変貌ぶりをレポートした後に、なぜかホームレスの男性を登場させ、こう締めくくる。
 〈男性は先月、住み慣れた公園を離れ、川崎市に移った。変わらず路上生活を送っているという〉
 どうやらこれは、「学会は競争社会に敗れた“犠牲者”に、どこまで目を向けることができているのか」との記事中で自問している部分に対する回答としてのオチらしいが、最終回がこんな調子で終わっちゃうのには、力が抜けたぞ。
 アエラの連載は、極めて単純な図式しか提示出来なかった。公明党と学会の矛盾、学会組織内の矛盾、選挙と宗教活動の矛盾……つまり、そこに上品に言えば「軋轢」、ズバリ言うと「ぼやき」がある。「創価学会に何が起きているか」と大上段に構えてみたものの、中から出てきたのは、矛盾を背景にしたぼやきの声、声、声――。それをテーマ別に交通整理して、ぼやき続けたのである。
 しかし忘れてはいけない。本当にぼやきたいのは、先述したようにアエラ自身じゃないのか。この連載では、創価学会の訴訟、優遇される税制、墓苑問題や脱会者・批判者が置かれている現実などに一切、触れられていないし、一言のコメントも掲載されなかった。それを条件に、創価学会側が取材の道筋をつけてあげた、とも考えられる。

 おそらくそうした現実、実態へ斬り込めないアエラ自身、朝日新聞そのものの立場からは「ぼやいてみせる」しか方法は無かったのだ。あれだけ大きな創価学会である。池田先生に心服(信服か)することを除けば、様々な色合いの会員がいて当然だ。その人々をつまみ食いすれば、ぼやきの声は極めて安直に拾える(ラクな取材である)。
 筆者はそんなアエラや朝日新聞に、同情を禁じえない。取材・執筆した記者は、やけ酒を煽っているかもしれない。学会応援団にも徹底した批判者にもなれぬ「もどかしさ」の臭いがふんぷんとする“客観ジャーナリズム”の出来ばえを、評価するというほうにムリがある。

山田直樹(やまだ・なおき)フリージャーナリスト。1957年生まれ。文庫本編集者、週刊文春記者を経てフリーに。週刊新潮に連載した「新『創価学会』を斬る」が「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」の大賞を受賞。著書に『創価学会とは何か』(新潮社)。