特集

特集原田稔創価学会会長インタビュー(「朝日新聞」)を斬る

創価学会を舞台に進行中の壮大な詐欺 「生ける屍」隠すなれ合いインタビュー

溝口 敦

ノンフィクション作家

ミスリード誘う八百長インタビュー

 朝日新聞社の記者と編集委員が創価学会・原田稔会長にインタビューし、同紙の922日付で記事を掲載した。

「創価学会はどこへ」と題する記事の冒頭は次のやり取りで始まっている。

〈──池田大作名誉会長は88歳。最近は表立った活動を控えています。体調はいかがですか。

「元気にしておりますよ。執筆活動などに専念しています」

 ──最近はいつ会いましたか。

「ええ、この夏の研修で」

 ──重要な判断も可能なのですか。

「もちろんです。ただ、数年前からは、基本的に運営は執行部に託し、見守っています」

 ──いま、意思決定の過程はどうなっているのでしょう? 集団指導体制なのですか。

「そう理解して頂いていいんじゃないでしょうか。私をはじめとする執行部内で相談しつつ、大きな方向性を定めています。とはいっても重要な問題もありますから、執行部は名誉会長に報告すべきことは報告し、指導を受けています」〉

 朝日側は当然のことながら、池田氏が認知能力に障害を生じ、判断能力を維持しているのかと疑っている。実際の池田氏は幹部会員に会って話すどころではないだろう。有り体にいえば植物人間状態ではないか、と。そういう朝日側の疑念は彼らがした質問に込められているし、原田会長も朝日側のそうした疑念を察知している。しかしここで「実は名誉会長は生ける屍なんです」と、職責上、真実を話すわけにはいかない。一般学会員にウソを突き通している以上、新聞メディアにもウソを繰り返すのが原田会長のつとめだからだ。

 逆にいえば、このインタビューで原田会長はウソをつくよう、朝日側に強要されたと見ることもできる。この手のウソはミスリードといい、取材執筆する記者も、メディア慣れした取材の受け手も最も嫌うところだ。読者を事実とは違うあらぬ方向に導いたと、取材者も被取材者も責任を問われる。原田会長がついたウソは活字になって末代まで定着し、今後とも何かと引き合いに出される。

 インタビューする側には別のやり方もある。たとえば、「この夏の研修で池田氏にお会いになった? その夏の研修というのはいつ、どこで行われたんですか。池田氏は講師として参加したんですか。あなた以外に誰か池田氏に会った人はいますか。研修会は1日だけですか、それとも複数日にまたがって行われたのですか。何をテーマとする研修だったのですか。池田氏は研修にどう関わったのですか。池田氏に会って、話は交わしましたか。話したんなら何について話したんです? そのときの彼の表情や様子はどうでした?」など、質問を矢継ぎ早に繰り出す方法である。

 原田会長がウソをついていることは質疑のやり取りで明確に分かる。ふつう、ある人に関して「重要な判断も可能なのか」とは聞かない。問われた人が「ずいぶん失礼な質問をなさいますね。不愉快だ」と怒り出しかねないからだ。原田氏はこの質問を当然のごとく淡々と受け取り、「もちろんです」と答えている。受け答えに伴う感情を露呈させていないから、事情を知る者が見れば、容易にウソ答弁は見破られる。

 つまりこのインタビュー記事は取材側が受け手側の答えについて疑問点を放置し、追及していない点で、八百長といえる。取材の受け手側に「表面的な答えだけでいいですよ、深くは追及しませんから」とあらかじめ許可を出しているのと同じである。

「生ける屍」隠しに加担する大メディア

 創価学会は公明党を持ち、国政に影響を与えているとはいっても、宗教団体であることが基本性格である。宗教団体は信教の自由などの問題がうるさく、扱いに注意を要する。基本的に宗教は私事であり、宗教団体の首脳動向などは追及の対象にしにくい。

 しかし反面、植物人間池田氏の病状を会員の前から隠して、従来通り信者生活を続けさせることは、あたかも父親が死んだにもかかわらず、その死を隠して、親に支給されていた年金を子が受給し続ける行為と似ている。もらう資格がないにもかかわらず、もらい続けている点で明らかに詐欺である。

 池田氏は長らく創価学会統合の象徴だった。彼への個人崇拝から学会員は選挙で票を集め、聖教新聞を購読し、財務や広布基金を払ってきた。そういう池田氏の脳がいかれ、「生ける屍」と同じと学会員大衆に知られれば、創価学会・公明党は急速に組織力や資金力を低下させよう。それらを失いたくないために、原田会長以下学会幹部は池田氏の病状を押し隠し、まだ元気だと偽り、学会員を結集し続けようとしている。それが幹部生計への唯一の途でもあるからだ。組織が細ることで減給されるのも嫌だし、学会本部の職も失いたくない。公明党議員も同じである。今さら議席を失い、そこらのおっさんにはなりたくない。

 今、創価学会を舞台に壮大な詐欺が進行中なのだ。であるなら、メディア側は当然事実はどうか、しつこく追及すべきなのだが、広告出稿や聖教新聞の印刷請負への顧慮からか、大メディアが創価学会を追及することはない。たとえインタビューしても、通り一遍の質疑で終始し、なあなあで幕を引いている。

いつまでも通用しない「死せる孔明…」の詐術

 ジャーナリストの池上彰氏も710日の「参院選ライブ」の中で創価学会広報室長・岡部高弘氏にインタビューした。池上氏が最近、池田氏の活動がないように感じると言うと、岡部氏は執筆活動のほか、各地を回って会員を激励していると、ここでもウソをついている。

 池上氏も朝日と同じで、創価学会に言いっ放しにさせ、何を思ったか、次に学会の中で池田氏に対する「個人崇拝」が進んでいるのではないか、と見当違いの質問に切り替えた。岡部氏は「個人崇拝とみられる方もいるかもしれませんけど、むしろ我々にとっては敬愛する、慕う関係という感じだと思います。人生の師匠というか、生き方を学んでいく対象」などと余計なことまで答えさせている。

 目下の問題は池田氏が「生ける屍」だという事実であって、「池田氏への個人崇拝」が緊急のテーマではない。この時点で個人崇拝を問題にすれば、視聴者は、池田氏がまるで今なお健常者であるかのような錯覚をしよう。判断、決定ができる人への個人崇拝が問題なのであって、故人や「生ける屍」に対する個人崇拝はむしろ奥ゆかしい行為と見られかねない。もちろんその場合の前提は崇拝者がきちんと崇拝の対象が死んだ、生ける屍になったと認識していることである。故人に対してどのような感想を持とうと、どのような態度を持そうと、外部がとやかく言う筋ではないのだ。

 朝日新聞はインタビューの中でこうも質疑している。

〈──池田名誉会長は歴代首相と会っています。会長(原田氏のこと)は安倍晋三首相に会っていますか。

「いや、そういう機会はあんまりございません」

 ──少しは会っているということですか。

「政策や政局については、すべて党がやってますから。新年のレセプション等で会うことはありますよ」〉

 ここで原田氏ではなく、池田氏が安倍首相に再度、会っているか、となぜ聞かなかったのか。聞くまでもないと考えたからか。

 池田氏は069月、信濃町の創価学会関連施設で安倍首相に会い、その後小泉純一郎元首相にも会っている。池田氏が健康であるなら、自民党の時の首相や中国政府要人には会わずにいられない顕示欲を持つ。その後10年間、会わずにいたとしたら、彼の健康状態が許さなかったと考えるほかにない。安倍首相に会う、会わないも彼の病状についての有力な傍証になり得た。

 つまり朝日インタビュー、池上インタビューともに創価学会とのなれ合いインタビューだった。これらインタビューで明かされた創価学会、ないし池田氏に関する事実はないか、あったとしてもごく少数である。ただし創価学会がついたウソを、採取した昆虫を虫ピンで留めるように定着・表示した功績はある。後世、創価学会はこのようにして池田氏の病状を隠し、学会員信者を欺き続けた、ということの証明にはなるだろう。

  この意味で取材は両刃の剣である。取材受け手のついたウソが取材者にはね返ってくる。インタビュー上のウソは両者の合作だとして、取材者の事実追及の弱さを批判される。だが、事実は遠からず明らかにされ、学会員大衆が広く知ることになるだろう。「死せる孔明、生ける仲達を走らす」はいつまでも通用する詐術ではないのだ。

溝口 敦(みぞぐち・あつし)ノンフィクション作家。1942年生まれ。早稲田大学政経学部卒。出版社勤務などを経てフリーに。宗教関係をはじめ幅広く社会問題を扱う。『食肉の帝王』(講談社プラスα文庫)で第25回講談社ノンフィクション賞、日本ジャーナリスト会議賞、編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム大賞の3賞同時受賞。『堕ちた庶民の神』(三一書房)『歌舞伎町・ヤバさの真相』(文春新書)『パチンコ「30兆円の闇」』『生贄の祀り』『あぶない食品』(小学館文庫)『武富士 サラ金の帝王』『池田大作「権力者」の構造』『中国「黒社会」の掟』『細木数子 魔女の履歴書』(講談社プラスα文庫)『暴力団』『続・暴力団』(新潮新書)『抗争』(小学館新書)『やくざの経営戦略』(文春新書)など著書多数。

コメントは受け付けていません。