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特集池田大作入信70年の虚飾を斬る

 

池田“先生”「入信70周年」の負の遺産

段 勲

ジャーナリスト

 

侘しかったご近影

 ペルー・国立サンマルコス大学は、

「仏教哲学を根幹に 世界平和に貢献する人類の偉大な師匠を讃え」──

 池田大作名誉会長に「名誉博士号」を贈ったという。

「聖教新聞」8月24日付1面の記事だが、ちなみに同大学は36年前にも池田氏に「名誉教授」の称号を贈っている。名誉博士と名誉教授の違いがよく分からないが、ともあれ8月24日のこの日は、池田氏の「入信70周年」に当たる。

 創価学会も「入信70周年」を祝賀し、「聖教新聞」(8月17日付)に掲載されている最高幹部たちの座談会で、原田稔会長は次のように発言していた。

「この8月24日は、池田先生が、恩師・戸田(城聖・2代会長)先生との不二の旅立ちを開始されてから70周年の佳節です。この日がなければ、今の学会の一切はありません。“弟子として、いかに8・24を迎えるか―それは、一人一人の勝利の姿しかありません。池田門下一同が、心晴れ晴れと、師弟の凱歌を轟かす「8・24」にしていきましょう」

 まさに池田氏の入信記念日は、創価学会にとって、「この日がなければ創価学会がない」と言うほどの大変な佳節なのである。

 例年、8月24日付の「聖教新聞」は、「入信記念日」を祝うと同時に、池田氏の元気な記念写真も掲載してきた。しかし今年の写真掲載は、1日遅れた翌日の25日になっており、撮影場所(撮影日は不明)が長野県軽井沢町の「長野研修道場」で、ラフな薄手のジャンパーを着用しての香峯子夫人とのツーショット。壁に掛かる絵画を遠目で見ながら、ポツンと座っている姿を遠距離から撮影した、少しばかり侘しいスナップ写真だった。

 入信、70周年も迎えると、随分と疲れが出たのだろうか。振り返って、池田氏は海外の各大学から「人類の偉大な師匠」と賞讃される一方で、この70年の間に池田氏が、創価学会の歴史に刻んだ負の遺産もまた少なくない。

 その1つは、「水滸会記録」を残したことである。「水滸会」とは、2代会長・戸田城聖(1900年2月~1958年4月)が命名した側近幹部の集まり。亡くなる直前まで、池田氏など重鎮幹部を相手に、創価学会の未来像について講義をしていた記録である。中身は政治、社会・経済・国際・教育・宗教等、実に幅広い。

 戸田氏の死後、やがて池田氏ら幹部等の手によって「水滸会記録」(原稿用紙にして約600枚)としてまとめられ、門外不出の内部記録書として本部に保存された。それが外部に、山崎正友元創価学会顧問弁護士や原島嵩元教学部長によって流出してしまう。

 戸田氏を「師」と仰ぐ池田氏との師弟関係は、親子の縁よりもまだ深いとされる。原田会長の先の発言にあるように、

「学会の一切は、(池田氏と)戸田先生との旅立ちから開始された」と、あり、その戸田2代会長による側近幹部相手の指導をまとめた「水滸会記録」が、会員、幹部を今日まで指導してきた池田氏の原点でもあるようだ。では、「水滸会記録」には、どのような内容が書かれていたのか。

 

池田氏が残した負の遺産

 まず驚く内容はたくさんあるが、その1つは、隣国の韓国が導入しているような「徴兵制度」を容認していたことである。平和や幸せを追求する宗教家にしては、異例な考えである。こう記述している。

「日本においては、現在のごとき自衛隊制度では、経済的にも無理がある。国を愛する防衛隊もできえない。もし徴兵制をしくならば、合理的な徴兵制度が望ましい」

「天皇」問題にしても、

「学会では、必ず宮城を建ててさしあげようでないか。日本の国力だけでつくるのではなくして朝鮮からも、中国からも、ぜひ参加させて下さい、といって貢物を持って来るんですよ。建てる場所も、東京ではなく、浜名湖付近に移し、富士大石寺を中心にして、リッパな宮城を建てるのです。天皇が、本山に乎参られるときも、東京から、富士大石寺までの弾丸道路をつくってもいいんだ」

「水滸会記録」にはこうした奇想天外な言動が多く記述されており、つまるところ創価学会を「国教」化に持ち込もうとする教団の遠大な目標が浮かび上がる。

 また、「水滸会記録」には、こんな文言も残されていた。

「東洋開発。朝鮮はハゲ山で何もない。満州は広いが開発しにくい。日本にとって山東半島を確保することが大切だ。サハラ砂漠に原水爆によって運河やダムを作り、開発したらよい」

 確か戸田氏は1957年9月、神奈川県横浜市に5万人の創価学会青年部を結集させ、原水爆を利用する者は、

「魔ものでありサタンであり、怪物である」

 として、「原水爆禁止宣言」をしたはずである。池田氏の「師匠」が残したこうした発言は消えることがない。問題発言があまりも多い戸田2代会長の記録文書を、なぜわざわざ残したのだろうか。

 記録といえば「社長会記録」もまたそうである。聖教新聞社、日本図書輸送、創造社、シナノ企画など創価学会関連企業の社長を集めた毎月1回の「社長会」。1960年代後半から70年代の初頭にかけて、高級料亭等を会場にしての池田氏の発言記録は、「人類の偉大な師匠」とはほど遠い内容であった。宗教家とも思えないカネの話があまりにも多く、池田氏の「素顔」を垣間見せるような記録文書になっている。

「社長会記録」が流出すると、週刊誌が飛びついて報道し、単行本としても出版された。直後、発言者や発言内容の真意をめぐって裁判にもなったが、「社長会記録」の露呈によって、創価学会が受けたダメージは極めて大きかったのである。

 また入信70周年のなかで、最大の屈辱と言えば、やはり法廷の証人台に立ったことだろうか。「月刊ペン裁判」(名誉棄損事件)や「山崎正友裁判」(恐喝事件)に出廷し、ここでも会員以外の人たちに「素顔」を見せることになった。

 大教団の最高指導者が、何度も法廷に立つなど前例がなく、それだけにマスコミにも注視され、世間からも衆目を集めたのである。

 

宗門との抗争

 戦後、最大の宗教紛争といわれた「創価学会vs.日蓮正宗の抗争」(1991年~)も、池田氏が原点だった。同氏の言動が抗争の引き金になったのである。学会と宗門の抗争は1977年~に第一次紛争があり、1991年は第2次紛争と言われている。

 2度に及ぶ抗争は双方間に深い傷跡を残しているが、一番の犠牲者はいつでも信者(会員)だった。抗争が起こるたびに右往左往し、信仰を求めて入信してきたのに、出来する抗争に翻弄されたのである。

 第一次紛争時、宗門の本山に参拝していた韓国人は、「どなたか、私たちの進むべき道を教えてください」と、訴えていたし、またこんなケースも山積した。

 家族内で親と子ども、あるいは夫婦が宗教対立し、家族同士の絶縁や夫婦の離婚が相次いだ。夫婦の宗教対立で裁判になったケースもある。

 それまで仲の良かった親子や兄弟が泡を飛ばして口論し、やがて縁切り、冠婚葬祭にもお互いに出席をしない。離婚はもっと惨めだった。それまで人も羨む幸せな夫婦が、選択した宗教の違いによって溝が深まり、いがみ合い、離婚という最終局面を迎えていた。

 さらに気の毒なのは子どもたちである。紛争に全く関係のない子どもたちが、親たちの勝手な宗教対立によって、親子の関係を引き裂かれた。

 幸せを願って宗教を求めたのに、その宗教によって逆に不幸を招いてしまったのである。人類の偉大な師匠である池田氏は、このあたりの負の遺産をどう思っているのだろうか。

 

段 勲(だん・いさお)フリージャーナリスト。1947年生まれ。週刊誌記者を経て、創価学会・公明党など宗教問題をはじめ社会・世相、医学・健康等をレポート。『私はこうしてがんを克服した』(日本能率協会)『宗教か詐欺か』『創価学会インタナショナルの実像』(共にリム出版)『定ときみ江 「差別の病」を生きる』(九天社)『鍵師の仕事』『高額懸賞金付き!未解決凶悪事件ファイル』(共に小学館文庫)など著書多数。

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