特集

特集ファシズムの温床・洗脳教育──「教育勅語」と「人間革命」

 

「教育勅語」「新・人間革命」──自公ファシズムの本質にある洗脳用教材の使い回し

古川利明

ジャーナリスト

 

ゾンビさながらに「戦前の亡霊」を蘇らせる

 安倍内閣は3月31日、民進党衆院議員の初鹿明博が提出していた質問主意書に対する答弁書を閣議決定した。その内容とは、戦前における日本の教育理念を示した教育勅語について、「憲法や教育基本法等に反しないような形で教材として用いることまでは否定されることではない」と、学校教育で教育勅語を使うことにゴーサインを出したのである。官房長官の菅義偉は、それから3日後の定例会見で「道徳教育で使うことに問題はないか」との記者の質問に、「教育勅語にそうしたこと(=道徳を説いた側面)があり、そこは否定できない」と述べ、まずは、来年度から小学校において、正式な教科へと格上げされる「道徳」の授業で、教材としてジャンジャンと使うことにお墨付きを与えたのである。

 今回、こうした答弁書が出てきたのは、例の森友学園事件が炸裂したからである。元々、鑑定評価額が9億円超もあった国有地が、当初は現職の首相である「安倍晋三」の名前を校名に冠した小学校の敷地として、タダ同然で払い下げられていたことに加え、同学園が運営する塚本幼稚園では、教育勅語を園児に暗誦させた挙げ句、運動会の選手宣誓では「尖閣列島、竹島、北方領土を守り、日本を悪者として扱っている中国、韓国が心改め、歴史で嘘を教えないよう、お願いいたします」と言わせていた「右翼教育のトンデモぶり」に、世間は度肝を抜かれたからである。

 確かに、教育勅語には、親孝行や夫婦の和、学問の修得といった徳目も説かれているが、核心は「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」の部分である。要は「戦争に突入したら、国民は命を懸けて戦い、天皇に身を捧げて、御国のために尽くせ」ということなのである。まさしく、この教育勅語によって国民を洗脳しあげたからこそ、先の大戦へと突き進むことができたがゆえに、戦後の1948年に、国会で排除と失効の決議がなされたのである。

 それゆえ、今回の措置によって、「戦前の亡霊」をゾンビさながらに蘇らせようとしているのだが、その前提となった森友学園における「右翼愛国教育」とは、果たして、今の社会から、完全に孤立して存在していたのだろうか。じつは、「教育勅語の復活」は、あの日本会議に代表される、わが国の保守・右翼勢力が前々から主張してたことなのである。事実、日本会議の公式HPには、2007年10月に設立10周年を迎えた際、日本会議国会議員懇談会のメンバーで自民党衆院議員(現・同参院議員、参院文教科学委員長)の赤池誠章が「国民の徳育目標となった教育勅語等に代表される日本の精神・価値観は脈々と受け継がれてきているのです。それを国の礎とすることではじめて国家百年の大計が生まれ、公徳心のある日本人が生まれてくると信じます」と書いた文章が、現在でも削除されることなく載っている。また、今度の騒動でも、同じく日本会議国会議員懇談会のメンバーである防衛大臣の稲田朋美は、ちゃんと国会答弁で「(教育勅語の)核の部分は取り戻すべきだ」と発言しているのである。

 

創価学会では『新・人間革命』の「教育勅語化」が

 さて、そこで、創価学会である。

 別に示し合わせたということでもないのだろうが、あまりにも酷似した動きが、ほぼ同時並行で出てきている。わかりやすく例えるなら、今なお、池田大作が書き続けているということになっている小説『新・人間革命』の「教育勅語化」なのである。

 学会内部でも、青年部を中心とする活動家を読者対象とする機関紙「創価新報」(3月1日付)に「師と共に不二の道を歩み続ける」の見出しで、池田大作の長男で主任副会長の博正がインタビューに登場し、青年部のメンバーに対し、この『新・人間革命』をこれまで以上にきちんと読み込み、頭の中に叩き込むことを説いているのである。

 ちなみに、『新・人間革命』の前段として、『人間革命』があり、折しも教育勅語問題がクローズアップされていた最中の週刊現代(4月15日号)で、元外務省主任分析官の佐藤優が「名著、再び」と題するコラムで、恥ずかしげもなく賞賛している。ここで佐藤が紹介しているように、『人間革命』の方は、あくまで第2代会長・戸田城聖の業績がメインで、その後釜たる「山本伸一」こと池田大作については、戸田が死去した後、第3代会長に就任した時点で終わっている。『新・人間革命』は、これを受けて、伸一が1960年10月に、戸田の遺訓を受け、「世界に向けた広宣流布の旅」に出るところからスタートしており、「池田大作の本仏化」を押し進めるうえでは、「第3代会長」に就いて、実権を完全に掌握してからの池田のヨイショに終始しているという点で、むしろ、こっちの方が重要なのである。それゆえ、創価新報の記事では、この『新・人間革命』について「創価の同志にとっては、『信心の教科書』であり、魂の広布史を綴った『不朽の歴史書』でもある」と持ち上げているのである。

 無論、日蓮の遺文を集めた『御書』以上に、この池田大作の『新・人間革命』を教学上の重要な教材として位置付けているのは、何も今に始まったことではない。ただ、創価新報のインタビューで博正がしゃべっているように、2010年以降、池田大作が表舞台に出て、直接、青年部のメンバーに激励や指導ができなくなってきているため、この『新・人間革命』の持つ意義が、より一層高まっているのである。それゆえ、博正自身が40年近く前の聖教新聞掲載時の『人間革命』の“切り抜き”を「青春の宝」として、今も大事に持っていることを明かしたうえで、現在連載中の『新・人間革命』についても、「毎日の“切り抜き”が大事」と訓示しているのである。

 

洗脳で深化させる「日本のファシズム」

 ある意味、明治天皇が示した「教育勅語」を反復暗誦させることも、聖教新聞に連載中の池田大作の『新・人間革命』の記事を毎日切り抜かせて、繰り返し読ませることも、目的とするとことは、同じである。つまり、それは脳味噌の深いところに、その中身を刻み込むように注入させていく「洗脳」に他ならない。そして、その最終着地点とは「自分の頭でモノを考えず、権力の命令に逆らわない、従順な人間に改造すること」に尽きる。

 それで言うと、保守・右翼勢力が目指しているものは、「天皇を中心とする神の国」であるのに対し、創価学会のそれは「池田大作を中心とする仏の国」である。そして、今、その両者ががっちりと手を組んでいることで実現している「自公体制」が構築されている以上、このふたつの流れは、既にひとつのものとして集約されていると見てさしつかえないだろう。例えるなら、保守・右翼勢力と創価学会がっちりとスクラムを組み、さながら二人三脚で一緒に富士山に登っている、とでも言おうか。しかし、これこそが、藤原弘達が『創価学会を斬る』(日新報道)で、こう喝破していた「日本におけるファシズムの形態」そのものである。

〈公明党が社会党と連立政権を組むとか、野党連合の中に入るということは、まずあり得ないと考える。その意味において、自民党と連立政権を組んだ時、ちょうどナチス・ヒットラーが出た時の形と非常によく似て、自民党という政党の中にある右翼ファシズム的要素、公明党の中における狂信的要素、この両者の間に奇妙な癒着関係ができ、保守独裁体制を安定化する機能を果たしながら、同時にこれを強力にファッショ的傾向にもっていく起爆剤的役割を働く可能性を非常に多くもっている。そうなった時には日本の議会政治、民主政治もまさにアウトになる。そうなってからでは遅い、ということを私は現在の段階において敢えていう。〉

 これからもう間もなく半世紀を迎えるが、いみじくも、この藤原の予言は完全に的中し、まさに、第1次から第2次へと続く自公体制において、「日本のファシズム」はより深化しているとも言える。それゆえ、「現代の治安維持法」に他ならない、究極の悪法である共謀罪創設法案(組織犯罪処罰法の一部改正案)が、事もなげに国会に提出され、審議入りしているのである。しかし、だからこそ、我々心あるジャーナリズムは、これまで以上に、この自公という「ファッショ政治の極み」がもたらしている惨状と腐敗を、敢然と抉り出し続けなければならない。(文中・敬称略)

 

古川利明(ふるかわ・としあき)1965年生まれ。慶応義塾大学文学部卒。毎日新聞、東京新聞(中日新聞東京本社)記者を経て、フリージャーナリスト。『システムとしての創価学会=公明党』『シンジケートとしての創価学会=公明党』『カルトとしての創価学会=池田大作』『デジタル・ヘル サイバー化監視社会の闇』『日本の裏金(上、下)』『ウラ金 権力の味』『「自民党“公明派”」10年の功罪』『「自民党“公明派”」15年目の大罪』(いずれも第三書館刊)など著書多数。

 

カテゴリー: 特集記事   パーマリンク

コメントは受け付けていません。