特集

特集「創価学会仏」?? 教団を仏と定義した創価学会の意図と狙い

教団・組織の「仏神」化を企図する宗教コングロマリット

乙骨正生

ジャーナリスト

“お墨付き”を求めた執行部

 86回目の創立記念日を前にした11月4日、創価学会が3年連続で会則を変更。会則前文に「創価学会仏」という教団そのものを「仏の存在」と規定する文言を付加するとともに、牧口常三郎(初代)・戸田城聖(二代)・池田大作(三代)の「三代会長」の敬称を「先生」とすることを決めた。

 一昨年の本尊・教義の変更、昨年の「三代会長」を「永遠の師匠」に祀りあげ、朝夕の勤行において報恩感謝を捧げるとしたことに続く今回の変更を、原田稔会長は「創価学会の宗教的独自性を、さらに明確にいたしました」(11月5日付「聖教新聞」)と自画自賛しているが、たしかに教団ないしは組織そのものを仏と規定する「創価学会仏」は、きわめて特異な「宗教的独自性」ということができよう。

 おりしも今年は、日蓮正宗が創価学会を破門処分(創価学会は「魂の独立」と主張)にしてから四半世紀の節目の年にあたるが、創価学会の一昨年来の「宗教的独自性」確立に向けた動きはきわめて急進的である。おそらくその背景には、平成22年以来、大衆の前に姿を見せない池田氏の健康状態の悪化があるのだろう。

 本誌前号で特集した朝日新聞のインタビュー記事において原田会長は、池田氏の健在なかんずく池田氏が重要な判断を行うことが可能であることをアピールした。その狙いは、池田氏が健在である(と装える)間に、池田氏の権威を借りて、「宗教的独自性」をはじめとするポスト池田体制の整備を図るための布石だったのではないか。

 今回の会則変更を発表した原田発言からも、そうした意図を読み取ることができる。というのも会則前文に「創価学会仏」を付加した理由と根拠を、原田会長は次のように説明しているからだ。

「本年7月26日の全国最高協議会へのメッセージのなかで、池田先生は『御本仏の広大なる慈悲を体し、荒れ狂う娑婆世界で大法を弘通しているのは、学会しかない。戸田先生が「創価学会仏」と言い切られたゆえんである』とご指導してくださいました。大変に大事なご指導であり、創価学会の宗教的独自性を明確に宣言するものです。このご指導は、かつて戸田先生が、“大聖人に直結した広宣流布遂行の和合僧団である創価学会は、それ自体、仏そのものであり、未来の経典には『創価学会仏』の名が記されるであろう”と断言されたご指導を踏まえられたものであります。

 池田先生は、さらに、そのメッセージのなかで、“広宣流布を推進しゆく創価学会が仏の存在であり、創価学会なくして広宣流布はなく、学会を守ることが広宣流布を永遠ならしめることである”ともご指導くださいました。これは、会則の全体趣旨にも通じるものであり、会として未来にわたって踏まえるべき重要なものであることから、今回、『創価学会仏』というご指導を会則に加えた次第です」(同)

 本誌前号の特集記事「創価学会を舞台に進行中の壮大な詐欺 『生ける屍』隠すなれ合いインタビュー」の中で、ジャーナリストの溝口敦氏は、「池田氏は長らく創価学会統合の象徴だった。彼への個人崇拝から学会員は選挙で票を集め、聖教新聞を購読し、財務や広布基金を払ってきた。そういう池田氏の脳がいかれ、『生ける屍』と同じと学会員大衆に知られれば、創価学会・公明党は急速に組織力や資金力を低下させよう。それらを失いたくないために、原田会長以下学会幹部は池田氏の病状を押し隠し、まだ元気だと偽り、学会員を結集し続けようとしている。それが幹部生計の唯一の途でもあるからだ」と指摘しているが、今回の会則変更も、そうした組織の延命と自己保身のための手練手管の一環と見ることが可能だ。

 だが本尊・教義の変更をはじめとする一連の執行部の急進的な決定については、少なからぬ幹部・活動家からの反発があり、なかには池田氏の意思に反しているとの批判もある。こうした動きに対して執行部は、処分という強行かつ強圧的態度で臨んでいるが、混乱と動揺は収まっていない。そこで執行部は、今回の会則変更の発表に際しては、池田氏の“お墨付き”を用意した。池田氏がライフワークとする小説「新・人間革命」の中に「創価学会仏」という記述を書き込んだのである。それは11月5日付「聖教新聞」掲載の小説「新・人間革命」における次のような一文である。

「戸田は、学会を『創価学会仏』と表現した。そこには、濁世末法に出現し、現実の社会にあって、広宣流布即立正安国の戦いを勝ち開いていく学会の尊き大使命が示されている」

 小説「新・人間革命」の連載は、この日で5946回にもなる。まさにドンピシャのタイミングで「創価学会仏」というフレーズが登場したのが偶然であろうはずがない。

 しかも“お墨付き”はこれ一回ではなかった。創立記念日当日の1118日付「聖教新聞」1面にも、「我ら皆 創価の仏ぞ 勇み立て 地涌の大力 出(いだ)し勝ちきれ」との86回目の創立記念日を祝賀したという池田氏の「和歌」が大きく紙面を飾っていた。

 もともと池田氏の著作物は、一部の詩や俳句・短歌を除くほとんどすべてが、「大作の代作グループ」などと揶揄される特別書籍部の作成であることを、当の特別書籍部の責任者だった原島嵩元教学部長が明らかにしている。まして高齢化に加え健康状態の悪化が取り沙汰される今日、池田氏の著作物はすべてが代作スタッフによって作成されていると考えるのが自然である。しかも池田氏が著作物の内容を理解し、容喙(ようかい)するとは考えにくいから、池田氏の“金言”を作成することなどいまや朝飯前なのではないか。

 創価学会執行部にとって極めて都合のよい“お墨付き”が出される背景はそんなところだろう。そしておそらく創価学会は今後、池田氏の心臓が停止するまで、その権威を借りて組織の維持・延命、自己保身のための「宗教的独自性」や「永遠性」の構築に励むのだろう。

破門後に突然出現した「創価学会仏」

 ところで原田会長は、会則前文に「創価学会仏」を付加した根拠を、戸田会長・池田名誉会長の発言においている。そこで過去の両者の発言に「創価学会仏」に関するものがあるかどうか調べてみたが、少なくとも戸田会長の講演集や巻頭言・質問会集には見当たらない(昭和3040年代刊行本──あるいは見落としているのかもしれないが)。

 池田名誉会長の著作物には、原田会長が言及した今年7月26日のメッセージと、11月5日付小説「新・人間革命」、1118日付「和歌」を除いて、現在、分かっているだけで3回の「創価学会仏」への言及がある。時系列で並べると初出は平成5年刊行の小説『人間革命』第12巻「憂愁」の章、次が「大白蓮華」平成19年3月号掲載の「生死一大事血脈抄講義」、そして3番目が平成22年刊行の「御書と師弟Ⅰ」である。

 このうち小説『人間革命』の記述は、死を前にした最晩年の戸田城聖のモノローグ。そこにはこうある。

「日蓮大聖人は、御本尊を御図顕あそばされ、末法の衆生のために、御本仏の大生命をとどめ置かれた。創価学会は、その大法を末法の衆生に教え、流布するために、御本仏の御使いとして出現した。大聖人の御精神のままに、苦悩にあえぐ人々を救い、菩薩道を行じてきた唯一の団体である。

 それは未来永劫につづくであろう。学会の存在は、それ自体、創価学会仏というべきものであり、諸仏の集まりといえよう」

 平成3年に日蓮正宗から破門された創価学会は、日蓮正宗に対抗するために、自らが「日蓮大聖人」の法脈を継承する唯一正統な教団であると主張する必要があった。特に小説『人間革命』第12巻が刊行された平成5年は、自前の本尊の作成と販売を始めた時期にあたっており、創価学会に本尊を作成する宗教的資格があることを立証しアピールする必要に迫られていた。「創価学会仏」なる概念を創出し、自らを「御本仏の御使い」と強調し始めた動機は、案外、このあたりにあるのではないか。

 この「創価学会仏」という概念を、よりブラッシュアップした形で池田氏が表明したのは、平成19年3月号「大白蓮華」掲載の「生死一大事血脈抄講義」。その中で池田氏は、「創価学会仏」という項目を立て、次のような主張を展開している。

「三代の師弟によって示された広宣流布に戦う根本精神が異体同心の組織の中に脈動していくとき、創価学会は民衆救済する仏の大生命力を恒久的に持ち続けることになります。

 その力は民衆の苦悩の暗闇を破り、勇気と希望を与えてゆく『慈悲の大光』として輝きます。悪を打倒し、正義を叫び抜く『獅子吼』となって響きます。宿命を転換して、自他共の幸福を築く『大確信』が一人一人の胸中に開かれます。

 そして、そのような三障四魔の大難にも打ち勝つ『異体同心の和合僧』、『金剛不壊の師弟の大城』としてそびえ立つのが、創価学会の組織なのです。

 ゆえに戸田先生は、『未来の経典には「創価学会仏」の名が記される』と予見なされました。大聖人に直結した広宣流布遂行の和合僧団である創価学会は、それ自体が仏そのものなのである。これが戸田先生の大確信であられた。

 戸田先生は幾度も、『戸田の命よりも大切な学会の組織』と語られました。

 私も、何よりも大切な仏意仏勅の和合僧団を、戸田先生の命そのものとしてお預かりしてきました。そして『異体同心』を指針として、この創価学会を大発展させ広宣流布を進めてきました」

 本尊の作成と配布、さらには自公連立政権の成立と維持に自信をもった創価学会が、原田会長の言葉を借りるならば「独立教団」としての「宗教的独自性」を顕著にし始めていることが分かる。特に、「創価学会は、それ自体が仏そのもの」「戸田の命よりも大切な学会の組織」などの主張が端的に示すように、「制度の自己目的化─物神化─」(政治学者・丸山真男)という制度や組織の維持が自己目的化する傾向が顕著になっている。巨大宗教団体のマンパワーが生み出す莫大な利権を紐帯として、組織の拡大・発展・維持を図ってきた創価学会にとって、組織の「自己目的化─物神化─」は必然の途だったといえなくもない。

 そして平成22年4月刊行の『御書と師弟Ⅰ』では、戸田会長の「予見」なるものの具体的内容が次のように詳述されている。

「戸田先生はこう語られたことがあります。『法華経には、威音王仏という仏が登場する。二万億もの仏が、みな同じ威音王仏という名前で、長遠の歳月、衆生を救済してきたと説かれている。この威音王仏という名も、優れた仏の名であったかもしれないし、また、そういう教団があったとも考えることができる。同じように、“創価学会”という教団は、必ず未来の経典に金文字で記される。“一閻浮提広宣流布”という未来記を実現した創価学会仏として、永劫に仰がれゆく』」

「創価学会仏」の正当性を、所依の経典である「法華経」に基づいて正当化しようという試みである。ここではまさに組織の「物神化」ならぬ「仏神化」が企てられている。ちなみに池田氏が大衆の前に姿を見せなくなったのは、『御書と師弟Ⅰ』刊行からわずか1カ月半後のことである。

 池田氏という「生き仏」の終焉とともに、組織・制度の「物神化」ならぬ「仏神化」を図ることで延命を図ろうとしている創価学会。今回の会則変更はその端緒にすぎない。

乙骨正生(おっこつ・まさお)フリージャーナリスト。1955年生まれ。創価中学・創価大学法学部卒。宗教・政治・社会分野などを取材、週刊誌・月刊誌を中心に執筆。著書に『怪死』(教育資料出版会)『公明党=創価学会の野望』『公明党=創価学会の真実』『司法に断罪された創価学会』(かもがわ出版)など。

カテゴリー: 特集記事   パーマリンク

コメントは受け付けていません。