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特集/生前退位表明が映し出す創価学会最大の欺瞞

自らの肉声で「生前退位」の意思を表明できない池田大作の悲喜劇

古川利明

ジャーナリスト

天皇が「生前退位」の意思を明確に表明

 現・天皇が8月8日、宮内庁を通じて「私の気持ち」と題するビデオメッセージ(収録時間約11分)を公表し、その中で「既に八十を越え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています」と述べ、「生前退位」の意思を表明した。きっかけは、7月13日夜7時のNHKニュースのスクープだったが、じつは水面下では昨年12月の誕生日記者会見のタイミングでの表明も検討されたものの、そのときは「年齢というものを感じることも多く、行事のときに間違えることもありました」と触れるに留まっていた。天皇に近い人物によれば、昨年8月15日の全国戦没者追悼式で、黙禱と追悼の言葉の順番を取り違えたことを天皇本人が非常に気にしており、そうした経緯から、昨年中から既に宮内庁と官邸との間で、やり取りが始まっていたという。

 読売新聞(8月10日付朝刊)によれば、ビデオメッセージを公表する前日の8月7日、最終稿が宮内庁から官邸に届いたが、その2日前の原稿にはなかった「幸いに健康であるとは申せ」の文言が加筆されており、そこに「摂政は望まない」との天皇の強い意思を関係者は感じ取ったという。事実、メッセージの後半で「天皇が未成年であったり、重病などによりその機能が果たし得なくなった場合には、天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし、この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません」とあり、とにかく、天皇自身が健康であり、かつ、自らの意思で判断できる今この時点において、「天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念される」ことから、「生前退位」という言葉こそ口にはしなかったものの、「その明確な意思表明」であったことは、疑いの余地はない。

 歴史をひも解けば、天皇の生前退位は、古代からじつは全体の7割近くを占め、平安時代後半の院政期のように、意図的に天皇が譲位したケースはもとより、老齢や病気で退位することは普通に行われ、「天皇は終身制ではない」というのが慣行だった。それが明治以降、旧憲法の公布と同時に勅裁された旧皇室典範において終身制が明文化され、それは戦後の新憲法と新皇室典範にも継承され、「天皇の退位規定」が存在しないまま、今日に至っているのである。こうした天皇の終身制が、例の「万世一系の天皇」と抱き合わせで、国家神道という「政教一致」によって現人神へと祭り上げられ、あの愚か極まりなかった先の大戦を遂行させるうえで不可欠なツールと化していたのは、ご存知のとおりである。

鵜呑みにできない“大本営発表”

 さて、そこで「信濃町の天皇陛下」こと、池田大作である。

 まずは動静だが、参院選の投開票日の7月10日夜に、テレビ東京の特番で元NHK社会部記者の池上彰が創価学会本部を訪れ、広報室長の岡部高弘に「池田大作の健康状態」を質したところ、「大変お元気で、体力もある」としたうえで、「具体的には『聖教新聞』なんかに執筆活動を、『新・人間革命』とかですね。あと、先日もそうですけど、いろんな各地を回られて、会員の皆さんを激励されています」と答えている。そこで参院選の間の聖教新聞を見ると、7月3日付で池田が妻の香峯子と一緒に信濃町の創価世界女性会館の桜花の間で、椅子に座って手を合わせ、勤行と唱題をする写真が載っている(撮影は6月25日)。また、7月7日付には、前日に池田が八王子市の東京牧口記念会館と創価大学を訪れたとあるが、その池田の写真は掲載されていない。また、8月16日付には、前日に信濃町の広宣会館で、毎年恒例の青年部主催の「世界平和祈念 戦没者追善勤行法要」が営まれたとあるが、そこに池田の姿はないばかりか、本来であれば、記事の中で「この日は、池田名誉会長は第2別館で厳粛に勤行・唱題した」といったくだりがあってもよさそうなものだが、それすらない。「8月15日」という節目の終戦の日に、池田大作はどこで何をしていたのか、皆目わからないのである。

 確かに、こうした学会の行事やイベントに合わせて、池田大作のメッセージは毎回のように出されてはいるが、しかし、それは「聖教新聞という紙の上」に印刷してあるだけで、今回、生前退位の意思を表した天皇のビデオメッセージのように、「自らの肉声」によるものは皆無である。そこで、池田の「真の健康状態」だが、「大変お元気で、体力もある」という信濃町サイドの“大本営発表”を鵜呑みにすることはできない。無論、椅子に座って、本尊に手を合わせるぐらいの動きをすることはできるのだろうが、果たして、池田自身、それが「勤行・唱題」であることを、いったいどこまで認識し得ているのだろうか。少なくとも「認知症の初期段階」である可能性はあり、例えば「今日の日付や曜日が、いつなのか」を池田はちゃんとわかっているのか、筆者は疑問に感じており、ぜひ、本人と会って確認したいと思っている。

権力欲に塗れた人間がさらす老醜の悲喜劇

 今の天皇と同様に「終身制」、つまり、「生前退位の規定」が存在しないのは、じつは、創価学会第三代会長、そして、同名誉会長のポストにある池田大作もそうなのである。

 1960年5月3日に創価学会の第三代会長となった池田だが、当初は「会長の任期は4年」「会長は理事会によって罷免されることがある」との規定が会則にはあった。ところが、内部で池田が権力を完全に掌握していく過程で、会長就任6年後に変更された会則では「会長の任期を終身とする」「会長は、後任を選ぶことができる」「会長は責任役員を任命し、罷免する」「会長は、副理事長、理事、その他の必要な役員を任命し罷免する」との条項が盛り込まれ、池田大作による独裁体制が名実とともに確立された。

 しかし、77年に池田が「宗門乗っ取り」を企てた第一次宗創戦争(五十二年路線)で、最終的に池田の「本尊模刻」が暴露されたことで、学会員の間に衝撃と動揺が走り、当時の日蓮正宗法主だった細井日達から「破門か、会長辞任か」を迫られ、やむなく、79年4月、池田は会長を辞任することとなった。だが、その後、池田は新設の「名誉会長」なるポストに就くのだが、これは創価学会会則の第7条(現在は第8条)で「この会(=創価学会)は、総務会の議決に基づき、名誉会長を置くことができる」とあるだけで、任期も退任規定も一切ないのである。それと、合わせ一本で後任の会長には「任期5年(昨年11月の会則変更で4年に短縮)」の枠をはめる一方で、02年4月の会則変更では、新たに「牧口常三郎初代会長、戸田城聖第二代会長、池田大作第三代会長の『三代会長』は、広宣流布実現への死身弘法の体現者であり、この会の永遠の指導者である」との「三代会長」の項目を作り出すことで、池田大作のさらなる神格化というか、“生き仏化”に邁進しているのが、実情なのである。

 今回、天皇が生前退位の意思を表明した大きな要因に「今後、老いから来る衰えによって、象徴としての務めが困難になる前に、自ら天皇の地位から退き、円滑な形で後継に託したい」との思いが垣間見える。翻って、創価学会、そして、池田大作だが、そもそも、こうした「名誉会長の生前退位」の議論が起こるような素地すら、全く存在しない。ヒットラーやスターリン、毛沢東の例を出すまでもなく、古今東西、独裁者なる人種というのは「死ぬまで、権力の座に留まり続ける」という(さが)を、わかち難く持っている。本来であれば「名誉会長が健康を損なった場合、十分な務めが果たせなくなるため、その職を辞するべき」というのが、スジであろう。もっとも、現実に創価学会という組織は「既に生き仏化している池田大作の存在」を軸に回っているため、「名誉会長の生前退位」というのは、まず、無理である。筆者は「ひとりの人間としての終活」ということで言えば、「池田大作の名誉会長の生前退位」があってもいいと思っているが、果たして、現在の池田にそれをしっかりと判断できる能力が、そもそもあるのだろうか。アンデルセンの童話『裸の王様』を思い起こしながら、権力欲に(まみ)れた人間がさらけ出している老醜の悲喜劇というものを、今さらながら、感ぜずにはいられない。(文中・敬称略)

古川利明(ふるかわ・としあき)1965年生まれ。慶応義塾大学文学部卒。毎日新聞、東京新聞(中日新聞東京本社)記者を経て、フリージャーナリスト。『システムとしての創価学会=公明党』『シンジケートとしての創価学会=公明党』『カルトとしての創価学会=池田大作』『デジタル・ヘル サイバー化監視社会の闇』『日本の裏金(上、下)』『ウラ金 権力の味』『「自民党“公明派”」10年の功罪』『「自民党“公明派”」15年目の大罪』(いずれも第三書館刊)など著書多数。

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