特集①

特集/迫る2016参院選―宗教と政治

政教一体で闘争煽る創価の欺瞞性

信教と思想の自由侵す創価学会選挙 政教分離原則違反の政治力行使

柿田睦夫

ジャーナリスト

詭弁とスリカエの論法で

 参議院選挙を前にして創価学会がまたぞろ、珍妙な宗教・政治・選挙論を展開している。会員(信者)を選挙活動に駆り出すことを合理化するためだろうが、たとえば青年部機関紙「創価新報」4月20日号の幹部座談会――。

「選挙が近づいてくると、政治と宗教の関係について、騒ぎ立てる勢力があるが、もう一度、ここで確認しておきたい」

「そもそも、『政治参加の権利』は、憲法で全国民に等しく認められている。基本的人権の柱です」

「憲法でうたわれる『政教分離』の原則にしても、国民の『信教の自由』を保障するためのものです」

「『政教分離』の原則について、その眼目は、あくまで『国家の宗教的中立性』という点にある」

「あくまで、『国家権力が宗教に介入しないこと』であり、『宗教団体が政治活動や選挙運動することを阻害するものではない』ということですね」

「国会の場において、内閣の『憲法の番人』ともいうべき歴代の内閣法制局長官が、何度も明言しています。たとえば、1999年7月、当時の大森政輔長官は『(政教分離の原則は)宗教団体が政治的活動をすることをも排除している趣旨ではない』と国会で答弁している」

 この座談会記事の論理構成は、2008年10月に掲載された「創価新報」特集のほぼ完璧な焼き直しである。法制局長官の国会答弁でその論を補強する手法も同じ。集団的自衛権行使と安保法制は憲法違反だという歴代長官の指摘は完全に無視する一方で、ここでは「憲法の番人」とまで持ち上げるのだから、唖然とせざるをえない。

 いつものことながら、この宗教・政治・選挙論は、詭弁とスリカエに満ち溢れている。たとえば「全国民に等しく認められている」政治参加の権利は、国民個人の自由な意思として認められているのであり、団体を対象にしているものではない。団体が個人の自由な意思を無視して政治参加を強制することなど、「等しく認められて」はいないのだ。

 大森長官の国会答弁もその点に配慮して「政治的活動」と述べているのであり、「選挙活動」とは言っていない。いずれも典型的なスリカエの論法である。

「創価新報」はもっぱら憲法の政教分離原則とのかかわりで論を構成しているが、これも間違っている(もちろん政教分離原則という点でも大いに問題だが)。この問題は第一義的には信教の自由(憲法20条1項前段)、思想・良心の自由(同19条)の視点から検討しなければならないことなのだ。

 宗教団体は共通の信仰を持つ者によって組織されたものであり、構成員(信者)の思想・良心、つまり政治参加の意志や政党支持の自由などが一切問われることはない。信仰の強制力によって信者個人の政治信条に介入することなど、あってはならないことなのだ。宗教団体の選挙活動には常にその危険が内在している。

「支持団体」が候補者選任

 創価学会の現実はどうか。創価学会が選挙活動を「広宣流布の戦い」と位置づけているのは公知の事実である。公明党の比例区票を「広宣流布のバロメーター」と呼んだのは秋谷栄之助前会長(現最高指導会議議長)だ。創価学会は「日蓮大聖人の御遺命である世界広宣流布を実現することを大願とする」(会則第2条)団体である。つまり根幹的な信仰活動と選挙活動の一体化が教団の組織原則であり、これは組織として憲法19条を侵すことにほかならない。

 より具体的な事実を見てみよう。2012年まで創価学会本部職員だった男性3人が実名で掲載する「元創価学会職員3名のブログ」が、こんな事実を伝えている。

「学会本部は夏の参議院選挙に向けて、公明支援のための組織体制作りに躍起になり、その影響は現場組織にまで及んでいる。“安保(法制)を推進する公明を支援できない”との思いを表明する地区部長を正役職から外し、『会合で政治の話はするな』と口封じする事態まで起こっている」

「今の創価では『公明党がおかしい』と言えば村八分にされてしまう」

 政党支持の自由を表明すれば教団の役職から追われ、村八分にまでされるというのだ。宗教団体の選挙活動はこのように、信者の思想・良心の自由だけでなく、信者としての権利、つまり信仰の自由まで侵す危険を孕んでいる。「創価新報」は一般的な「政治参加」ではなく、自らの選挙活動をこそ真摯に検証すべきなのだ。

 政教分離とのかかわりはどうか。池田大作氏は1970年5月、言論・出版妨害事件を「猛省」し、政教分離を表明して「学会は公明党の支持団体ということになります」と述べた。メディアもそれを受けて創価学会を公明党の支持母体と呼んでいるが、本当にそうなのか。

「公明党と創価学会の関係は一体不可分だ。候補者は学会組織から選ばれ、国会議員ともなれば谷川(佳樹・本部事務総長)や婦人部の重鎮、坂口幾代ら最高幹部の面接を経て決まる」(『文藝春秋』2015年10月号)

 公明党は7月の参院選で、3年前の4選挙区に3選挙区を加え、過去最多の7選挙区に候補を出すと決めた。

「この方針が事実上決まったのは、先述した(15年)7月の創価学会最高会議だった。学会で選挙対策を一手に仕切る副会長の佐藤浩が、愛知、福岡、兵庫の各県を抱える方面長たちに対し、選挙区で新たに候補者を擁立するつもりがあるかどうかを問い質し、いずれの方面長も『やります』と答えたことから方針が定まった」(『世界』15年8月号)

「支持団体」どころか候補者選任まで創価学会が行っているのだ。これが政教一致でなくて何だろうか。宗教団体ゆえに非課税の教団施設を事実上の選対本部にし、教団資金から組織、人材までフル投入する選挙の実態も同じである。

政策決定から立法権にまで

 憲法の政教分離を定める条文は、国家の宗教的活動の禁止(20条3項)、宗教への公金の支出の禁止(89条)ともうひとつ、20条1項後段に「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」とある。憲法は国と宗教の双方に政教分離を求めている。

 いくつかの事実を見る。まず昨年の大阪都構想をめぐる住民投票前後――。

「水面下で動いたのは、東京の創価学会本部の副会長(広宣局長)である佐藤浩だった。……最近では、公明党国会議員の頭ごしに政府・自民党幹部と接触することも多く、政局回しでも重要な役割を果たしている」(前出『世界』)

 消費税「軽減税率」をめぐっては――。

「重要法案では菅官房長官が佐藤副会長と『落としどころ』を探っているとも言われている。(軽減税率では)佐藤氏が菅官房長官と連絡を取り、次期参院選の選挙協力拒否をちらつかせながら“財務省案の撤回”を要求した。公明党内では当初、山口代表、北側副代表ともに、財務省案やむなしという方針だったが、公明党幹部も引けなくなった」(『アエラ』1月25日号)

 政党間協議ではない。宗教団体の創価学会と首相官邸が直接協議をして政策を決めているのだ。選挙協力も「自公」でなく「自創」なのである。

 矢野絢也元公明党委員長が明らかにしているように、創価学会本部を右翼の街宣活動から守るための静穏地帯法改定、1990年~92年の税務調査から創価学会を守るための「ウルトラC」だったPKO協力法賛成など、創価学会の都合による立法権の行使という例も少なくない。

 これらの事実は憲法20条1項後段に触れていないかどうか。創価学会が唱える「政治参加の自由」とは徹頭徹尾、憲法違反の疑いが濃厚なのである。

柿田睦夫(かきた・むつお)フリージャーナリスト。1944年生まれ。業界紙記者などを経て1979年から「しんぶん赤旗」社会部記者。退「現代こころ模様」シリーズなどで「宗教と社会」の関わりを取材。葬儀や戦後遺族行政に関わるレポートも多い。『霊・超能力と自己啓発手さぐりする青年たち』(新日本新書、共著)『統一協会─集団結婚の裏側』(かもがわ出版)『現代葬儀考お葬式とお墓はだれのため?』(新日本出版社)『宗教のないお葬式』(文理閣、共著)『これからの「お墓」選び』(新日本出版社)『自己啓発セミナー「こころの商品化」の最前線』(新日本新書)『現代こころ模様エホバの証人、ヤマギシ会に見る』(新日本新書)など著書多数。

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